さて、今日はブログを楽しく書き続ける方法について。
書きたいけど書けない、書き続けたいけど続けられない、書き続けられているけどしんどい、という方に向けた記事になります。
これまで10年間書き続けてきて、たくさんのことが見えてきたんで、シェアしていきますね。
自分の当たり前は他人の当たり前ではない
書くときに忘れてはいけないランキングがあったとしたらトップ3に入ってくるのが、
自分の当たり前は他人の当たり前ではない
ということ。
これはよく言われることであると同時に、よく忘れることでもある。
というのも、ブログを書くということは、その書く分野に関する専門性を持っていたりするわけだよね。
で、成長していこう!という意欲も高い場合は、どんどん専門性を深めていくことになる。
すると、自分にとって当たり前のこと、普通のことには価値を感じなくなってくる。
これは極めて自然な感情の動きで、ただそうなると、より複雑だったり細かな部分に価値を感じる自分になっていくわけだけど、
読者はそこまで複雑さや細かさを求めていない、という状況に陥ることがあるんだ。
これは、ブログを書く当時者になってみると、本当にわからない。
まじ気づけない。
だから、まじめに頑張ろうと思っている人、成長しようと思っている人ほど、だんだんと苦しくなってくることがある。
ずっと新しいものを提供しなくてはいけない、普通のことなど書いてはいけない、というブロックが自分の中に生まれるようになるわけだね。
だけど、すでに専門性を磨いてきているわけだから、さらに成長しようと思っても、どんどん成長させる部分はなくなってくる。
なくなってくるし、そこまで細かで複雑なことが本当に必要なのか?ということも出てくる。
その状態に陥ると、書くのも大変、ネタを見つけるのも大変、書いても読まれない(細かすぎる)、という負のスパイラルに入っていってしまうんだ。
そういうときに思い出すと良いのが、
自分の当たり前は他人の当たり前ではない
ということ。
そして、そこを思い出すことにはさらに重要なポイントがある。
自分を受け入れるほど、書きやすくなる
これはブロガーというよりはメンタルトレーナー的な視点になるのだけど、
自分の当たり前の価値を信じる
ということは、自己肯定や自己受容につながっていく、という側面があるんだ。
ないものを求めるより、あるものの価値を信じる、ということだからね。
その在り方が、ブログ継続のポイントになる。
結局、ブログを書き続けていこうと思ったときに大事なのは、
自分のコンテンツの価値を自分が信じられていること。
そしてそれは同時に、自分の当たり前の価値を信じられていること、と言い換えることができる。
自分の当たり前の価値を信じられていると、自分にとって当たり前のことを書けばいいだけだから、非常に楽にブログを書くことができる。
楽に活動することができるし、
専門家である自分が楽をしているということは、初心者にとってベストなレベルの内容になっているから多くの人に読んでもらえる、ということになる。
良いことだらけ!
実は専門家になればなるほど大事になってくるのが、
頑張らない
ことだったりするんだよね。
専門家が頑張ってしまうと、読者のニーズとの乖離が大きくなってしまうし、実際、書いている自分もしんどくなってしまったりする。
もちろん、時には専門性の高い記事を書いてもいい。
そういう記事を求めている人もいるし、自分がそういう記事を書きたくなるときもあるからね。
そういうときは、遠慮なく書けばいい。
要は、
60%程度の内容を書いても十分に価値があるけれど、別に100%、120%の記事を書いてもいい。
どっちでもいい、ということね。
その感覚でいられると、続けることは楽になる。
これはブログだけでなく、何事においても同じだと思う。
60%でもいい、くらいの感覚があれば、疲労せずに続けることができるよ。
長期的に続ける際に大事なのは、上手に手を抜く、ということだったりする。
この手を抜くというのは簡単に言えばサボるということでもあるんだけど(笑)、
ブログに関して言うと、そうやってサボるくらいが読者にとってもちょうどいい、と知っていることが重要。
サボることが結果につながる、ということなんだよね、実は。
一般的に見ても、頑張れば結果が出るということではなく、頑張りと結果との関係性っていうのは完全につながっているわけじゃない。
頑張らなくても自分が楽しかったり読者が楽しかったり結果を出せればいいわけで、自分が頑張るかどうかというのは実はどうでもいいことだったりする。
自分が楽をできるなら楽をしていいわけだし、今ま書いてきたように、読者にとってもそちらの方が好ましい結果につながることは多い。
ということで、ブログを楽しく書き続けるコツというのは一言で言うなら、
頑張らなくても大丈夫だし、頑張ってもいいし、どちらでもいいという感覚
になります。
実際、この記事も「60%でいいとすれば」とイメージしたときに、生まれてきた記事。
書き続けてきた自分からすると、今書いてきたことは自然に習得したことで、別にあえて言語化するほどのことでもないかな、という感覚だった。
だから、あえて書く必要もない、別にたいしたことじゃない、誰の学びにもならないし、役に立たないと、
100%でないなら価値がないと思っていたら、そう感じていた。
その前提があったなら絶対に書かなかったことです。
つまり、60%でも価値があると思えているからこそ、生まれる記事もあるんですよね。
もしもこの記事がほんの少しでも役に立ったなら、まさにそのことが、この記事で書いている内容を示しているということになるのかな、と思います。
ぜひ、力を抜いて、自分の当たり前の価値を信じて、ときには120%で書くことを楽しんだりなんかして、書き続けていってくださいね。
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人が良くなっていくために本当に大切なことは何なのか?について考え続け生まれたメンタルトレーニングジムを運営しています。(現在は募集していません)
本も出版しています。
「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 2016年12月発売。発売4日で増刷!
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