さてさて、今日も勝手にLIINE@でいただいた質問に関するテーマ書いてくよシリーズいきたいと思います。今日は、「私、愛されてるんだろうか?不安」について!
愛されてないんじゃない?って不安になるのって、不安だよね。
あーもう落ち着かん。とりまスホマ。SNS。
でもSNSで楽しそうな人見て、へこむ。結果出しててへこむ。へこむからもう見ない。でも寂しい。なんか見ちゃう。へこむ。笑。どないしたらええねん。笑。ってなるとき、あるかもしれません( ̄∀ ̄)
そのときの心情ってこんな感じなんじゃないかなと思う。
「自分って価値ないの?だめなの?愛されてないの?わたし。
もうとにかくね、分かりやすく愛を表現してほしい!
分かりにくいのとかいらん。
分かりにくいのとか分からんし!( ´Д`)
厳密に言う?厳密に言えばね、頭では分かるっちゃ分かる部分もある。愛されてるんだろうな実は、みたいな。ちょっと勉強したもん!だからある、分かる部分も。
だけど、不安もあるんです!
あ〜多分愛してくれてるんだろうなあ、うん、きっとそうに違いない!うん!っていうのは、できます。
できるけど、でも、やっぱり、確信できない。
だからこう、分かりやすくしてほしい。
分かりにくいのとか「あれはこういう意図なんだろう」とかじゃなくて、明確にしてほしい。
ど直球欲しい。
変化球いらんから!
手元で変化すんなまじ。手元で変化させんなまじ!」
って感じかな!笑
おーけー( ̄∀ ̄)
そういうときは、一旦そういう気持ちを認めていい。
てか、日本人ってあんまり率直にコミュニケーションしないやん?これただのイメージの話なんだけど。
USAの人ってなんか感情表現とか超素直じゃない?
勝手なイメージだからあれなんだけど、ああいう風にすぐハグしたり「あいらぶゆー」とか言ってる感じの文化だったら、なんか安心。
でも日本はそうじゃない。空気読もうよ的なノリが多くて、その結果、
相手の気持ちを「確認」するんじゃなくて「予測」するんだよね。
で、その自分の頭の中の予測でリスク管理して、相手よりも大きい好意を示さないようにする。
好意を示すことがリスクになってしまってるんだ。
リスクだから、どれだけ相手の気持ちを読んで、空気を読めるかみたいになっていって、結局、気持ちを確認しない。
これは結局、愛してるよっていう確認作業をしないってことで、そういう確認とか表現を軽視している、ということでもあるんだ。
だから、上記みたいに「愛されてないんじゃないか」という思いで悩んでしまうケースが多くなる。
うぬぬ。
もちろんジャパンにはジャパンの良さがある。否定してないよ。そういう部分もあるかもねぎだよねってことが言いたいだけね。ジャパン大好きだよ( ´∀`)
言いたいのは、この「愛されてないんじゃないか不安問題」は文化的な問題でもあるんじゃないかってことなんだ。
そういう文化。そういう歴史。
つまり、あなただけのせいじゃない。そういう部分がある。と思う。実際、日本って世界的に見て圧倒的に自己肯定感低いですし。
歴史ってことに関して言えば、親だって同じで、愛を明確に表現できない親自身も、親に明確にされてこなかった歴史があったりする。
ふむ。あー、なんかそういうことを考えてたら、なかなかしゃーない部分もあるわけだな。しゃーない。
だから、一旦そういう自分を責めたり否定するのをやめて、「おーけー、そんな自分おーけー( ̄∀ ̄)」って言っちゃおうぜ。
しゃーねー。合言葉は、しゃーねー。
一旦そこにいこう。一旦そういう場所に行って、そこから考えよう。次はどこに行くか。
次の場所に行くために、一旦今いる場所を受け入れて愛そう。
今いる場所が嫌いだから次の場所に行くというよりも、今いる場所を愛してから次の場所に行こうぜ。
それがメントレでやることなんや。
今いる場所を愛したら、次の場所に行きやすい。
で、次の場所っていうのは、それでもどうやら自分は愛されているらしいってことを自分で信じ始める場所。
おうおう、自分で信じ始めるって結構遠そうだよね。笑。
なんかちょっとまだ見えてこないな、その景色は。みたいな。
でも、方向は分かった。
こっちに行けばいいんだな。
まだ遠いけど、こっちに行けば素敵な景色が見られるんだな、ってことは分かった。
方向が分かったならこっちのもん。
方向が分かったなら、一緒に歩んでいこうんじゃないか。ちょっとずつ、行こうやないか。
そうやって自分を信じられる場所って素敵やん。
綺麗な景色、見れそうやん。
一緒にそこまで歩いていこう。途中の景色も楽しんでいこう。
そこだけに素敵さがあるんじゃなくて、きっとその途中にもたくさんの素敵なものがあるはずだよ。それを一緒に見つけて楽しんでいこう。
大事なことは、今いる場所を受け入れること。
今いる場所を受け入れて、それから少しずつ自分は愛されてるんだ、愛される存在なんだと感じられる、信じられる場所に行くこと。
他人軸ではなく、自分自身で信じられる場所。
他人は関係ない。他人がどうこうに左右されない。
他者がどうあれ、他ならぬ自分自身がそう信じられているから、他者が自分をどう扱おうが、全く関係のない場所。
他者が一見自分を愛していなさそうに見えても関係ない、それでも他者を主体的に愛せる場所。
そういう場所が、どうやらあるらしい。
今を受け入れながらそこまで歩いて行けたら、素敵やよね( ̄∀ ̄)
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