適切な自己主張をする。
これはイケジムで行うトレーニングなのだけど、
適切な自己主張ができないことで苦しくなることは多いよね。
例えば、「嫌いな人がいる」とき。
そういうときにあり得るのが、
自分がその人に対して自己主張をしていないから、嫌いさが増している
というケース。
「こういうタイプの人には自己主張しない」と自分の中で決めてしまっていて、あきらめていることもある。
合わない
分かってもらえない
言っても意味ない
(それが事実かどうかは確認していない)
と考えて、とにかく自分が「我慢」する。
興味深いのは、我慢するのはいつもこちら側で、向こうはストレスフリーで楽しげに生きている点だ。
我慢するのはいつも自分、といういびつな関係性。
で、我慢の限界を迎えたときに、その人から離れる選択をする。
ここで大事なのは、離れることが悪い云々ではなくて、
適切に自己主張できていたら、果たしてどうなっていたのか?
ということ。
つまり、
自分を大事にする選択ができる自分で在ったなら、どうなっていたか?
ということだ。
具体的に言うなら、
私はそれ嫌なんですけど
こうしてもらえますか?
と言ってみるとか、
メンタル的に無視をする(相手はそういう人と割り切ったり、それでも自分は幸せでいていいと、幸せでいる許可する)
相手のせいで自分は不幸だとは考えない(相手に人生を支配されコントロールされる弱い立場に自分を置くということだから)
と考えてみるとか、もっとレベルを上げるなら、
相手を高く評価する
相手の良い面を見る
自分とは異なる相手の性格に学ぶところはないか?と考える
など。
そういうことができる「状態」で自分が在ったなら、果たして現実はどうなっていたのか?
結局、そういうことができるようになっても離れるケースというのは、もちろんある。
どうせ離れる、ということはあり得る。
だけど、
それらができない状態で違う場所に移ったなら、また同じ事態になったりする。
一つの場所で行なっていることを、人は必ず別の場所でもやる。
というのは、一つの場所でやっていることはその人の「在り方」から生まれているものであって、
在り方はどこに行ってもついてくるからだ。
どこに行こうが何をしようが、自分の在り方から生み出される現実から逃れることはできない。
あうち( ̄∀ ̄)
だから、別の場所に行っても、
あの人がいるから私は自分らしくいられない
と考える現実を生み出し続けることになる。
結果、どんどん自分の居場所が少なくなっていく。
逆に、
どこに居ても私は自分らしくいられる
という状態だったなら、居場所は増えていくだろう。
もちろん、どこに居ても、というのは極論だと思う。
ただ、言いたいのは、
「〜〜〜のせいで自分らしくいられない」という、自分が幸せかどうかの全権を自分以外のものに委ねてしまうような在り方でいない、ということ。
それは、他人をジャッジしない、他人を高く評価できる、自分に自信を持っている、自分の状態を自分で決める、適切な自己主張ができる、という状態でもある。
そこに少しずつでも近づいていくことが、本質的な解決になるという、そういうことってあるんだよね。
少しずつその状態になった上で、自分にとってベストな場所にいればいい。
恐れからそこにいるのではなく、恐れの少ない状態で、そこにいればいい。
そうすれば、本当の安心感の中でそこにいられるからね。
適切な自己主張をする。
自分の幸せや自分の状態を、自分で決める。
そういうメントレをやっていこう( ̄∀ ̄)
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