昨日の記事の続きになるけれど、適切な自己主張をするというのがなかなか難しい時期はある。
イケジュンの場合も、その感覚も忘れてしまった感はあるけれど、以前はなかなか自分の気持ちや意見を言うことが難しかった。
自分を我慢させていく方向に、どうしても進んでしまう。
それが当たり前で、自分さえ我慢していればいいんだとずっと思っていて、そういう感覚はずっとあったなあ。
例えば、世の中には割と図々しいというのか自己中心的というか、いや、言い方を変えよう。己の願望に忠実な人というのがいる。
そういう人はガンガン誘ってきたりとか、自分の要望をストレートに伝えてきたりする。
昔、そういう人に会ったときは「嫌だなあ」という風に思っていて、避けがちだったし、できるなら関わりたくないという気持ちが強かったと思う。
まあ、今でも自分から積極的に関わろうとするかというと、しないと思うけど。笑。
ただ、そういう人に対する印象が変わってきたのは、自分自身の変化を感じるようになってからだった。
簡単に言えば、断ることを覚え始めてから。
断る力というのは生きていく上で非常に重要で、ただ断るだけでなく、堂々と断る。
断ってから自分を責めるとか、いらん( ̄∀ ̄)
そうやって自分自身が断る強さを持てるようになると、図々しい人も怖くなくなる。
普通に断ればいいだけだし、うざかったら「うざい」と言えばいいわけだから。
図々しいことをされたら「まじやめろや」と言えばいい。
それが言えない自分のままで機嫌の悪さを相手のせいにする、というのは悪くはないけど、もっとできる、という気はする。
もちろん、気持ちは超分かる。笑。
嫌になったらとっとと帰ったっていい。
イケジュンの得意技は、「トイレ行ってきます」と言って、そのまま店を後にすることだ。
まあそれは極論だとしても、「フツーに断る」という選択肢がない場合、相手が誘ってきたときに重荷に感じてしまう。
その気持ちはわかる。
だけど、相手だって自分の都合で誘ってきているわけだから、こっちだって自分の都合で断っていい。
当たり前のことなのだけど、断るのが申し訳なくて、自分を我慢させてまでOKをする、OKをしたのは自分なのに「あの人のせいでつまんない」と言い始める、というパターンは割と多いのかもしれない。
それだとなかなかしんどいよね。
でも、そんなことをする必要はないわけだ。
自分はいつでも言いたいことを言える能力を有しているという自覚
いつだって断ることはできるという強さ
そういうものがあれば、人間関係で恐れることは減ってくる。
もちろん、そんな力を持たなくたって生存することはできるけれど、小さなストレスを日々溜めていくような毎日になるかもしれない。
つまり、QOL(クオリティオブライフ)が微妙に下がり続ける。
それだったら、「言える自分」になっていった方がいいんじゃないかな、と。
結局、働くとなったら基本は人間関係が出てくるし、仕事の交渉なんかでも断る力、自己主張をきちんとする力、自分を大事に扱う力は超重要な力になってくる。
自己主張ができる、断ることができる。
これらは自分の機嫌や気分を自分で守る力であり、自分の人生を守る力でもある。
もちろん、誘われたものにはとりあえず行ってみる!という価値観もありだ。
それによって人生の幅が広がることだって大いにあり得る。
言いたいのは、「言える能力、断る能力を有していることが大事」だということ。
いつだって自己主張をしなさい、いつだって断りなさい、と言いたいわけじゃない。
それらができる自分で在る方が人生は楽しめるだろう、ということ。
自己主張しない方がいい場面だって多々あるし、断りたい気持ちが「先のステージに進むことを恐れている」場合だってあるわけで、そのときは断らずに乗った方がいい。
能力は有しておいて、そのときの自分の感覚にマッチするものを選択できる自分でいる。
それが最も人生を楽しめる状態なんじゃないかと。
相手のせいで自分は幸せじゃない、というのは自分の人生の楽しさや充実の権限を相手に委ねているようなものなのかもしれない。
だから、完全に100%自分次第にできなかったとしても、そのパーセンテージは増やしていきたいよね。
そのためには、自己主張ができる、断ることができる。
その力が必要になる。
たったそれだけで現実が変わったり、それができるようになることで自信が湧いてくるもの。
自己主張できるってことは、断れるってことは、自分の気持ちを大事にできるってことだからね( ̄∀ ̄)
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