自分が好きなことをやるにしても、やりたいことをやるにしても、基本的に「やり方」というのは大事になってくるもの。
ただ、やり方ってすごく「具体的」なものだよね。
で、具体性が出てくると人は面倒だったり億劫だというような感情になったりする。
例えば、カメラを買ってみた。ただ、今って様々な設定があったり、機能が充実しすぎてまじの素人からすると割と複雑だったりする。
イケジュンもカメラ持ってるけど(コンデジ)、全然使いこなせてない。笑。割と面倒臭いよね。好きだったらそんなことはないのだろうけど、イケジュンはカメラに対する願望が薄いので面倒です。笑。
まあそんなのはちょっと説明書を読んだり、一定期間試しで使ってみたらいい話なんだけど、今日言いたいのはね、「具体性が出てくると、面倒さや億劫さというのは感じやすくなる」ということ。
そういう具体的なことを小さなこと大きなこと含めて超えていくことがすごく大事で。
抽象的、観念的なことというのは「考えているだけで良い」ので、楽。エネルギーもいらないし、疲れることもない。ただ、何かをやろうとして現実的になっていけばいくほど、具体性は出てくる。
具体性が出てくると面倒さや億劫さが出てくる。だから「学んだけど変われない」場合、具体性が薄いケースが多い。
「学び」というのはそれ自体は抽象的であり観念的なこと。ただそれを日常でやろうと思うと、現実感や具体性が出てくる。すると、面倒くささも出てくるし、エネルギーも体力も必要になってくる。
具体性ってすごく現実的なことだから、単純なフィジカルの力だったり、疲れにくさだったり、時間配分だったり、エネルギーだったり、「哲学」的な部分とは全く違う能力が必要になってくるんだよね。
フィジカルが弱い、疲れやすい状態だと、実行段階に移ることができないことがほとんど。
すぐに疲れてしまうから何もできず前に進まない、能力は高いはずだけど長年の習慣から面倒臭い気持ちがあまりにも強く出るようになって結局何もできないまま、というケースって普通にあり得るんだよね。
で、そういう人ほど観念的なこと抽象的なことが好きで、具体的なことは「浅い」とか「分かってない」とか、そういう風に考える傾向にある。
これは、観念的なことや抽象的なことに価値がないということではなくて、それらは実際現実や具体的な行動に大きな影響を与える大事なこと。
ただ、一方で、具体性や現実性というのもすごく大事なんだよね。
イケジュン自身、この10年間ずっと好きなことを仕事にし続けられていて、お金に困った経験は仕事をしてきて一度もないし、余計なストレスもなく生きてこられたのは、その二つのバランスというか「どっちも大事」というところをブラさないで来たからかなと思っている部分があります。
抽象的なことも大事だし、具体的なことも大事。どっちも大事で、どっちもバカにしない。この感覚がすごく大事だと思う。
「どっちもバカにしない」
どっちかをバカにしてしまうことって多いんだ。観念的な人は具体性をバカにしやすいし、具体的な人は観念をバカにしやすい。
でもそうやって分離的な発想をするんじゃなくて、互いをリスペクトして、統合に向かっていくことが大事。
大事なのは「自分の立場やアイデンティティを守る」という発想から抜けて、「自分の願望のために本当に必要なことは何か?」と向き合えること。
例えば好きを仕事に!を本当にやるなら、めっちゃ具体的になると良いです。というか、具体的にならないとできないので具体的にならざるを得ないのだけど、そうなると「やり方」もすごく大事になるし、「勉強」も大事になる。
大事なのは、そういうのを「やらない」ことじゃなくて、どうすればもっと楽しくできるか、パフォーマンス高くできるか、ワクワクしてできるか?ということ。
そこでメンタル状態が大きく関わってくる。パフォーマンスの高さというのはダイレクトに行動量だったり質に影響してくるから。
あと、これも書いておきたいのだけど、
具体性が増すとネガティブになり得る場面ってすごく増える。
うまくいかない、面倒くさい、思った通りにならない、結果出ない、失敗する。あうち。具体性が増すということは、そういうあうちな現実に直面するということでもある。
だからこそメンタル状態を安定させる、前向きでいられることが大事で、その力があればこそどんどん具体的にやり方を勉強していける。
あり方、メンタルがしっかりしていることによって、超具体的になれるんだよね。
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