自分を認める力は最強。人の目、他人の評価でパフォーマンスを下げないトレーニング。

shutterstock_697636801

 

 

割と僕らのパフォーマンスを下げている原因に、

 

「人の目を気にしている」「他人評価で自分を支えている」ことがある。

 

人の目を気にしていると、やりたいことができなくなることが多い。

 

やりたいことができないって、相当なパフォーマンスの悪化よね。笑。

 

基本的に、人の目を気にしている、他人評価で自分を支えている場合は、

 

人に評価されるものにしか価値を感じられない、ことになる。

 

逆に言えば、人に評価されないもののことを評価できないということでもあり、

 

自分が評価されない状況になることなんて我慢できないから、

(バカにされている気がする。気のせいだけど。もしバカにされててもそれはその本人の自己肯定感が低いだけだから関係ないのだけど)

 

もしもやりたいことをやるときに低く評価される(されている気がする)状況が付随するなら、それはできない、ということになる。

 

やりたいことがないというより、

 

人に評価されないという状況になることに対して(たとえ一時的にでも)、状態が下がりすぎてしまうんだよね。

 

だから、やりたいことだけど人に評価されないならやらない、

 

そもそも人に評価されないもののことをやりたいことだと認識することが難しくなっちゃう。

 

カフェ・マダム・やりたいことの親密な三角関係


shutterstock_429638320

 

 

例えば、イケジュンは毎朝カフェに来ていて、今もなうなんだけど、

 

朝からパソコンをポチポチしてる人ってうちのカフェにはあまりいない。

 

のんびり優雅にモーニングをいただいているマダムや夫婦が多い。

 

そんな中、今はもはや「あの人はそういう人」感があるけど、当初というのは「何、あの人」という視線で見られることも多かった。

 

ただ、時代的に考えて、別に朝からカフェで仕事をしている人は珍しくないはずだ。

 

普通になってる。

 

フリーランスの人も増えているし、場所に囚われない働き方!なんていうのは一般化したよねもう多分。

 

そんな本が売ってても「またきたこれ」と思う。

 

つまり、おそらく別に珍しくはない。

 

それでもなお、そんな時代の流れがあってなおそういう目で見られるということは、

 

そういう目で見ている人が「あまり時代の流れを知らない」だけのことで、イケジュンの問題じゃない。

 

まあ優雅なマダムがそんな情報を知る必要もないので別にマダムが悪いわけでもなく、

 

自由な働き方ができる時代になっているということを知らず、そのことに少し偏った見方をしている優雅なモーニングマダムがパソコンぽちぽちする男を見て「あらやだ」と思っている

 

だけのことだ。

 

それ以上の意味はない。

 

というか、「あらやだ」というセリフを言うマダムはマダムっぽくて悪くない。

 

風情がある。

 

結局、別にそのマダムがいようがいまいが、自分は好きなことをするだけだよね。

 

ただ、これは極端な話になってしまうし、さすがにそこまでは…という話になることを分かった上で書くけれど、

 

もしマダムの視線を気にしたり、マダムに低く評価されることにダメージを受けようものなら、

 

「もう俺、あのカフェには行けないかも…ボンバーかも…」

 

と思っちゃうかもしれない。

 

はい、今。

 

まさに今、失ってしまった。

 

やりたいことを一つ、失ってしまった。

 

「好きなカフェでブログを書く」

 

ということがやりたいことリストから削除され、それ以外でやりたいことを探すことになったわけだね。

 

これが「人の目を気にしている」「他人評価で自分を支えている」ことで起こる弊害だ。

 

やりたいことをやりたいと思えなくなる。

 

 

本当にやりたいことがやりたいことリストから、消える。

 

 

ただ、本人の感覚としては、そこまで重大なことが起こったとは思わない。

 

なぜなら、マダムの冷たい視線を避けることの方に価値があるからだ。

 

冷たい視線を避けるのが最優先事項であり、

 

自分の価値(自己肯定感の低い人にとっては、自分の価値=人にどう見られるか)を守る、自己防衛をすることが最優先だから、

 

やりたいことがなくなろうがなんだろうが、そんなことよりもまずは自分の価値を守らなければならない。

 

だから、大事なものを失っているという自覚はないことが多いんだよね。

 

このブログではあえて心の動きを言語化しているけれど、ここまでメタ認知的というか、自分の心の動きに気づいている人、自覚がある人はあまりいない。

 

結果、いつの間にかやりたいことがわからなくなってしまった、という状態になることがあるわけなんだ。

 

自己肯定できているかの違いは、全く同じ出来事に対して、

 

「もうあのカフェには行きたくない…。マダム、怖い…」

 

と思うのか、

 

「へえ。あのマダム、なかなか風情あるじゃん」

 

と思うのか、という認知の違い、その認知の違いから生まれる行動の違い、その行動から生まれる人生の違い、ということになる。

 

他人の目を気にするとパフォーマンスが落ちる理由


 

 

やりたいことを自覚できなくなるということ以外にも、

 

日々のパフォーマンスが落ちてしまう

 

という面がある。

 

というのも、他人評価というのは割とテキトーであり水モノで、とにかく移り変わってしまう。コントロールできない。

 

だから、得られるときもあれば得られないときもあるわけで、

 

他人評価で自分を支えるなら、状態が不安定化するということが安定化しちゃう。

 

状態の不安定を安定的にする方法は、他人評価で自分を支えること。

 

他人評価は不安定だから、そこで自分を支えようとすれば漏れなく、自分の状態の不安定もついてくる。

 

大事なのは、まずそのことに「気づく」こと。

 

さっきも書いた通り、人は自分の中で何が起こっているかになかなか気づくことができず、

 

気づけないがゆえに「そもそも何が課題なのかが分からない」「どうすればいいか分からない」「どこに向かえばいいのか分からない」ということが起こる。

 

まず、気づくこと。

 

これは、暗闇の迷路に光を灯す、みたいなもの。

 

気づくことが大きな一歩である


 

 

 

暗闇の迷路の中で、

 

「ううん、進みたい気持ちはあるし、やる気もあるんだけど、、、でも、、どこに向かっていいか、分からない。今、この迷路はどうなってるんだろう。マップほしい。スタートボタンを押したらマップ表示されてほしい…」

 

と思っているときに、マップを表示する。

 

それが「気づく」ということなんだ。

 

「おおお、こうなってたのか。自分は今ここにいるのか。てことは、こっちに向かえばいいんだな。ぷはー!まじぷはーじゃん!やっと道が見えた。よおし、元気になったぞ。じゃあ、行こう!( ̄▽ ̄)」

 

と思える。

 

確かに進むのはこれからかもしれないけど、マップが手に入るだけで心持ちややる気、これから発揮されるパフォーマンスも全然違うんだね。気づくとは「マップ」を手に入れるということ。

 

もちろん、これから迷路を抜けていくときに障害に出会ったりして、そこを超えていく必要もあるんだけど、まずは気づくこと。

 

そこから全ては始まるんだね。

関連の記事はこちら。

 

 

人の目が気になるを克服する4つの方法を徹底解説。人の目を気にしなくなるトレーニング法。

嫌われることを恐れないメンタルの作り方。嫌われてもいい、それでも大丈夫と思える力を養おう。

 

 

noteも書いてます。

note版【自分だけの「やりたいこと」を明確にするメントレ 】

 

 

 

 

メンタル状態を整え、強くなる具体的な方法についてメルマガで書いているので、より深く学びたい、トレーニングしたい方は以下からどうぞ。

 

池田潤メルマガを購読する。

 

 

LINE@にて随時コンテンツ配信中。

友達追加後、限定オーディオトレーニング「メンタルを強くする簡単な方法」をプレゼントしています。

友だち追加

 

noteも書いています。

 

:note文章版メンタルトレーニング「自信を鍛えるメントレ」

スクリーンショット 2018-08-24 10.04.40

 

YouTubeでもメントレ動画を配信しています。「簡単にできるセルフイメージの高め方」

 

本も出版しています。

こちら韓国でも出版されました。

「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 発売4日で増刷!

 

15050086_1234694976587033_1261546830_n

 

『自分の武器を見つける技術』発売1週間で増刷!

スクリーンショット 2015-11-24 22.06.49