さて今日は人間関係。
まあとにかくこの人間関係というのは色々と課題が出てきやすいところでありまして、
心理学によっては
「まじ結局9割くらい人間関係の課題だったりするじゃんね」
というところもあるくらいです。
人と人はまあ育った環境も学んできたことも価値観も違うので、
とにかく一緒にいる時間が長ければ長いほど「違い」が明確になります。
とにかく細かいところが「違う」わけで、もちろんその違いが素敵なことでもあるわけなのですが、一緒にいる時間が長ければ、
その違いが自分のペースの乱れにつながるわけなので、苛立つわけです。笑
この「違い」に対してどうするか?というのが一つ、人類にとっての課題。
ある意味、違いというのは「自分の価値観を広げるきっかけ」にもなるわけで、
本当に我慢できないことなのか?
自分の価値観を広げるチャンスなのか?
というのは、考えどころ。
例えばよくあるケースでいうと、
超真面目なアルバイト店員が働いていたところに、
割とチャラいヤンキー店員が入ってきたとします。
すると超真面目店員は、
「あいつなんなの。まじヤンキーなんだけど!仕事ちゃんとしてほしい!黒髪にしてほしい!」
みたいに苛立ちます。
ただ、その超真面目というものが実はこれまでの人生の中で足かせになっていて、
片思いで苦戦したり、恋人との関係がうまくいかなかったり、
人間関係で課題が出てきていたとして。
ある意味、もう少し「ゆとり」や「リラックス」というものを取り入れたり、
それを許すことができた方がうまくいくわけですね。
(もしくは、そのチャラさが店の空気を明るくして、
真面目な人ばかりがいる職場よりもみんなのパフォーマンスが上がったり、退職率が下がったりすることもある)
そこで現れたチャラヤンキー店員。
実は彼から学ぶこともあるわけで、ただそこで「学ぶ」姿勢になるということは、
自分の価値観を広げることになる。
自分が今まで理解できなかった、許せなかったことを、
許し、理解することになるわけです。
それがなかなか難しい。
というのも、真面目であることをアイデンティティにしたり、
不真面目なことを馬鹿にして下に見ることで「自分を保っている」場合があるから。
(もちろんそうじゃない場合もあります)
つまり、真面目であることが自分の存在価値を上げると思っている場合、
不真面目になることは自分の存在価値を下げる。
だから、死んでも不真面目なんかになることはできない。
結果、ヤンキー店員を許すことなんてできない。
そんなメンタル構造になっていることが多いから。
そこで重要なのが「自分で自分を認めること」「セルフイメージが本当に高いこと」なわけで、
自分で自分を認められれば、人と比べる必要がない。
誰かよりも優れている、上である必要性がなくなってくるので、
「俺は真面目でいることが好きだから、そう在るだけ。
それが好きじゃないならそうしなければいいし、
そこに対して何かを言いたい気持ちもなっしんぐ( ̄▽ ̄)
ただ、不真面目が原因で仕事に支障が出てくるなら言わせてもらうけどね。
とはいえ、基本的に相手がどうしようが好きにしたらいいと思うし、
どっちが上も下もない。
不真面目なことが原因で被るであろうことには、相手が自己責任で被るわけで、
それを受け入れた上でそうしているんだろうから、好きにすればいいよね」
という感じで、自分が真面目であることは「正しい」「そうすることで自分が上になる」からではなく、
ただ自分がそう在りたいからそう在るだけだ、という感覚になる。
だから、相手もそうだろうと。
人間関係の中で「違い」とどう向き合うかというのは非常に大事なことなんだけど、
その違いを認めたり受け入れたり尊重するには、
自分に本当の意味で自信があることが必須になってくる、ということなんだよね。
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