さて今回は、卑屈な心から解放される方法について書いていきます。
自分なんて、私なんかどうせ…。。
そう思ってしまうのはつらいことだし、なかなか自分本来のパフォーマンスも発揮されません。
私なんて…と感じてしまう状態は、メンタル的にはセルフイメージが下がってしまっている状態。
例えば、過去に経験したこと、何かに挑戦したけど結果が出なかった、自分の身近な人がうまくいって自分はうまくいかなかった、恋愛でうまくいかず寂しい思いをした、など、
過去に何か経験したときに「自分を責める」という選択をした、もしくは、「自分の願いは叶わない」と解釈したことが原因だったりします。
例えば、仮に、友人と同じ人を好きになって、好きな人はその友人を選んだとしましょう。
そのときというのは、「俺なんて…」という気持ちにすごくアクセスしやすくなる。
ただ、一方で、好きになった人のタイプがたまたま友人だっただけの可能性もあるわけです。
つまり「タイプ」の問題であり、学校にも色々と人間関係もあるし、自分がダメだからという理由だけが理由ではないはず。
今回はたまたまタイプじゃない人を好きになっただけで、これから、自分もタイプで相手もタイプという人が現れることも全然あり得るわけです。
もしも、そうやって気持ちを切り替えていけたなら、卑屈になる可能性は少なくなります。
卑屈な心をなくすには、2つの感覚を強化すればいい
結論を書けば、
自分には価値がある、自分の願いは叶う。
この2つの感覚があれば、卑屈になることはなくなっていくんですね。
自分には価値があるし、自分の願いは叶うと思っている人が「自分なんて…」と嘆いている場面は、ちょっと想像できないと思います。
要は、そういうことで、
自分には価値がある、自分の願いは叶うという感覚を強化していくことが、卑屈な心から解放される方法。
このブログには、いくつも【自分には価値がある】【自分の願いは叶う】という感覚を強化するためのトレーニングについて書いている。
例えば、このnoteにも。
この記事でもそのトレーニングについて書いていくと、
具体的な例として、友人が自分よりも結果を出した、というケースで考えてみましょう。
例えば、受験勉強の場面なんかでも、友人が自分よりも良い成績を取ったりとか、
しかもそれが自分より勉強していなさそうな子だったり、昔は自分が勝っていた子だったりすると、「自分なんて…」という思いが芽生えることがありそうですよね。
でも実は、その考え方、その感覚に「アクセスしてしまった」というだけのことで、
そのときに他の感覚にアクセスできればいいし、今から違う感覚にアクセスしていけばいいのです。
大事なのは、セルフイメージの高い、自己概念の高い感覚にアクセスすること。
そうすれば、卑屈になることはなくなっていきます。
同じ出来事を、前向きに解釈する力を磨く
例えば、こんな捉え方はどうでしょうか。
「お、良いライバルが現れたな。勉強しがいが出てきた」
「自分にモチベーションを与える存在が、やっと現れたか」
成績が上がってきた子をライバルと捉え、ゲーム感覚で「負けないぞ!」と考えて、その相手をモチベーションに変えてしまう捉え方。
もちろんこれが最善ではないかもしれませんが、先ほどの卑屈な感覚よりはかなり良い気分でいられるはず。
実際、その出来事をきっかけに「もっとがんばろう!と思えたなら、
相手の存在は、成績向上という観点から見ればプラスの存在になっていると言えますよね。
なかなかいきなりそんな風には思えないという気持ちもすごくよくわかります。
大事なのは、いきなりそういう気持ちになることではなくて、
上記のような感覚、捉え方が存在するということ、同じ現実、同じ状況に対して全く違う感情を感じることが可能である、ということを認識することなんです。
まずは、自分の気分を上げる解釈が存在することを知ること。
そして、少しずつそこにアクセスできるようになればOKです。
他には、
「あの子もすごく頑張ったんだろうなあ。すごいなあ」
「あの子もあそこまで成績を上げられるということは、自分にだってできるかも!」
この捉え方は、相手を高く評価すること。相手の良い部分を認める捉え方。
これは、結構レベルが高いかもしれず、
「いやあ、そんな風にはまだ思えないなあ…」という感覚があっても全然おかしくありません。
その気持ちはよくわかりますし、いきなりその感覚にならなくてもよくて、
その選択肢が存在するのかも、と思ってもらえたら十分です。
できるかどうかはひとまず置いておいて説明していくと、
例えば自分よりも成績の低いところから成績を上げたということは、その子は何か勉強のコツを掴んだのかもしれません。
つまり、コツを掴みさえすれば自分もさらに成績を上げられるかもしれない、ということ。
もしそういう風に思えたとすれば、もはや他者を【見本】として見ることができています。
他者を尊敬し、他者を高く評価することができている。
こうなると、自分がネガティブな感情を感じることってもはやなさそうですよね。
むしろ、他者の成功が自分の成功につながっている、自分の成功のきっかけにすらなっています。
実際、「あの子も頑張ったんだろうなあ」という心境になることができているなら、
「ねえ、どう勉強したの?」という風に聞くことができるかもしれませんし、
「コツ、教えてよ( ̄▽ ̄)」と言えるかもしれません。
自分自身の成功、自分自身の成長にフォーカスし、競争意識も薄い状態だったら、
純粋に相手を評価できるから、相手を味方だと考えることができます。
すると、相手の成功が自分の成功につながっていくんですね。
出来事をどう解釈するか?で心の状態は決まる
最初の感情的な反応と比べてみましょう。
最初は、成績の上がった子を見て、「自分なんて…」と無力感を感じている状態でした。
そのときの経験を【過去の傷】として受け取り、その後もずっと、
自分はダメだ、自分なんてという気持ちを引きずってしまう恐れすらある状態。
「自分がダメな証拠」としての受け取り方しか知らない状態だと、
一つの経験をネガティブに受け取り、その後の人生にまで影響させてしまうことがあります。
人生のどこかの段階でそういった受け取り方をしたということが、卑屈な心の原因。
ただ、段階的に状態を上げていって、最後には、状況は全く変わってはいませんが、
「自分もさらに成績を上げられる!」という希望を見出している状態になっています。
過去を思い出したときに、「あの友人のおかげで、今がある」「自分がうまくいったのは、あの友人がうまくいってくれたおかげだ」という風に思えるところまで来ています。
人は同じ状況に対してもここまで感情的な反応を変えることができるし、
メンタル次第で人生の進み方というのは変わっていくわけなんですね。
大事なことは、少しずつでいいから、自分には価値がある、自分の願望は叶うという感覚に近い感覚で出来事を捉えられるようになること。
人生を生きていれば、卑屈になるという選択肢があり得る場面というのは出てくるもの。
恋愛でも、仕事でも、他人がうまくいく、他人が自分よりも結果を出すという場面にも遭遇するかもしれません。
他人がどうするかはコントロールすることができないので、
卑屈になるという選択肢が存在する出来事がこれから起こる可能性もあります。
大事なのは、そういうことがあってもなお、自分の感情を下げない捉え方、卑屈にならない捉え方ができること。
そういう捉え方ができる高い自己概念を自分が身につけていくこと。
大事なのは、自分の自己概念を高く保つこと。
自分の人生にとってプラスの解釈ができる状態になっていくこと。
出来事それ自体は完全にコントロールすることはできないので、
卑屈になるような場面が全く来ないようにする、というのは現実的には難しいです。
だからこそ、自分の自己概念を上げる、この記事で紹介したような「前向きな解釈」ができる状態に自分がなっていくことを目指し、
卑屈にならない捉え方、卑屈にならない自己概念を、少しずつトレーニングを重ねて手に入れていきましょう。
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