変われないのは、『腑に落ちる』まで問い続けていないから

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あることで悩んだとしましょう。

自分の場合、そういうときはとことん悩み抜く。悩み抜いて悩み抜いたら、答えが出てくるから。これ、ホント。

その悩んでいる時期っていうのは結構面倒くさく、時に苦しいこともあるもので、やめたくなる。

やめたくなったとき、「悩んでもしょうがないよ」という声が聞こえてくる。

でも、悩んでもしょうがないと思えるために、とことん悩むことだって必要なんじゃないかと個人的には思っています。

だって、とことんやらなかったら、またどこかで浮上してくるから。その問いが。

もちろん、その悩みを通り過ぎたら、何てことはない、何であんなことで悩んでいたんだ、となります。

だけど、その状態になるためにはとことんまで考えることがあっても良くて、

考え続けていくと、考えない重要性に気づく。

意味を追求していくと、意味のなさに気づく。

大体、考えるなという人や、意味はないという人は、ひたすら考えたりひたすら意味を追い求めた経験があるものです。

悩み抜く、考え抜く、ということが大事だと思うのですが、

なぜそれが大事かというと、要は「腑に落とす」ことをしないとダメだから。

自分の腑に落ちていないのに、誰かが言ったことを鵜呑みにして、「そういうものなんだ」という姿勢こそが一番良くない。

私の場合、いつも「腑に落ちる」まで問い続けます。

腑に落ちないと気持ち悪い。

本の感想をいただいて「分かりやすい」と言っていただくことが多いのですが、なぜなのかを言語化するとすれば、

私の姿勢として、自分の腑に落ちるまで問いを絶対にやめないからです。

こういうことなのです!という感じでバンって、何かを与えられたときに、

数学の「公式」のように、へえ、そういうものなんだ。となるのではなくて、

何で、そういうことになるんだよ?

と疑問をぶつける。

で、誰にでも分かるような説明ができるまでは、絶対に問いをやめない。

これは私の性分のようなものですが、そのことのメリットは、学びが全て自分のものになっていくことです。

よく、自己啓発など学んで知識は増えても実際全然ダサイままで何も変わらない人がいますが、

それは腑に落ちるまで問い続けていないからです。

私の信念として、自分について、人生についてしっかりと考え学んだ人は、学んでいない人が見たときに「一目置かれる存在」にならないとおかしい、というのがあります。

セミナー参加者だけでワイワイなって、周囲の人にはバカにされてる、とかありますが、

そういうの、全然違うと思ってます。

「お前最近変わったな?どうしたんだよ?」

「ああ、学んでるんだよ」

「それ、俺にも教えてくれないか?」

こういうことが起こるべき。

学んだことを自分のものにするには、自分で問い続けるしかありません。

腑に落ちないなら、腑に落ちるまで問い続けること。それが「向き合う」ってことでもあります。

中途半端だから、知識だけ増えて現実が何も変わらない。

自分が発するオーラも、雰囲気も、何も変わらない。

雰囲気っていうのはすごく重要で、人間、自信が出て来たら発する雰囲気も変わるものです。

何か自分の中で悩んでいること、答えを出したいと思っていること。

そういうことがあるのなら、腑に落ちるまでとことん問うてみると良いと思います。

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