自分が受験生の頃、成績が上がらずに四苦八苦していたときに父親から言われたことがある。
「受験勉強なんて、簡単だろう」
これ。
その一言を聞いたときは、こっちは苦労してやってるわけだから「そんなことねえ!」とツッコミたい気持ちでいっぱいだった。「やってみてよ!」と言いたかった。
でも、不思議なことに、そう言われてみて「もしかしたら簡単なのかもしれない」と思って取り組んでみると、意外に気持ちが楽になって、勉強に落ち着いて取り組むことができた。
「難しい…」
と思いながら勉強しているのと、
「今はできないけど、実は簡単だ。できる」
と思いながら勉強しているのとでは、全く気持ちの持ちようが違う。
実際、目の前の勉強の難しさに変化はない。
でも、自分の中で「何を難しいと言うのか?」という基準が上がったんだよね。
つまり、「そう簡単に難しいとは言わない」感覚を手に入れたんだ。
それまでの自分はすぐに「難しい」というレッテルを貼って、それはイコール「自分にはできない」のと同じ意味だった。
諦めがものすごく早くて、「難しい」と言ってしまうラインが圧倒的に低かった。
少し向き合えば分かるようなことでもすぐに人に聞きたくなって、すぐに答えを見たくなって、一瞬で根を上げる。
その状態ではどんな参考書を使って勉強していても、すぐにやる気を失った。
だって、どうせわからないところや難しいところには差し掛かってくるわけだから。
でも、父親に「簡単だろう」と言われてから、「これは難しいとは呼ばないんだ」という感覚を手に入れたんだよね。
目の前の勉強の難しさは全く変わっていないのだけど、
それを難しいとは呼ばない自分になった
わけ。
ここ、分かるかなあ。
勉強以外で言えば、
好きなことを仕事にするのは難しい
恋人を作るのは難しい
デートに誘うのは難しい
こうやってわざわざ自分で「難しい」と呼ぶことでハードルを上げて、何もしないうちからメンタル的に挫折してしまうことってよくある。
「難しい」というレッテルを先に貼ってしまうと、ちょっとつまづいただけで、
「やっぱり無理だったんだ」
となる。
色々複雑にもなる。
デートなんて、
「飯行こ」
と3文字送ればいいだけなのに、なにやら意味不明な作戦を立てたり、やたら遠回りしようとしたりする。
簡単だと思えばすぐにできてしまうことも、難しいと呼べばできなくなる。
できなくなるどころか、難しいと思っているから、さっきも書いた通りほんのすこし壁にぶつかっただけで挫折してしまうんだよね。
「これはデートしたくないサインなんじゃないか…?」とか。笑
わかんないよ、そんなの。
てか、
聞けよ!
って感じだ。笑
ちゃんと「確認」しないとわかんないから。
男は断られるのも役割の一つだから。
要は、難しいと呼んだ時点で、やる気を失ってしまう大量の機会が生まれてしまうってこと。
逆に、「簡単だ」というレッテルを貼ると「簡単なんだから、何かやりようはあるはず」という発想になる。
ただ実際、それらを「簡単だ」と呼んだところで難易度に変化はない。
ここは重要。
どう呼ぼうが、難易度に違いはない。
甘くみるわけでも、舐めてかかるわけでもないってこと。
ただ、
その難易度に対して「難しいとは呼ばない自分」になることによって、何とかしようという意志が生まれるんだよね。
「できるはずだ」という大前提を持つことになるから、何とかしようとする。
そうすると、実際に何とかなったりする。
ほとんどのことは自滅で上手くいかなくなるもので、なぜ上手くいかないかと言えば、
簡単に「難しい」と言ってしまうことによって、やる気を失う大量の機会に遭遇することになり、大したこともしないままに勝手に諦める癖がついてしまったからなんだ。
その癖がつけば、コロコロとやることが変わって結局は何も身についていない、何も形にはならないようになってしまう。
結局、何をやるにしても形になるまでには試行錯誤だって必要だし、トレーニングも必要。
そのときに、安易に、簡単に「難しい」と言って、ほんの少しのことで挫折してしまうメンタルを改善していくこと。
そうすれば、思いを具体的に形するまで取り組み続けることができる。
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