『毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる』の中で、恐怖について扱いました。恐怖は誰にでもあるものだけど、それがあまりにも強いと自分が体験したいことを体験できなくなってしまいます。
もう少し正確に言えば、「恐怖することを恐怖している」という状態が、もったいない状態なのです。まあ、私にも今だに普通にありますが。
例えば、分かりやすいので恋愛で話しますが、ガチで一番好きな人と接するとき、恐怖が強くなりますよね。別に好きでもない人との間には恐怖は薄いと思います。
その人にとっての一番の願いは、そのガチで好きな人と結ばれることです。どうでもいい人と結ばれることではないでしょう。
ということは、その恐怖というのは、そこに喜びがあることの裏返しでもあるわけです。
喜びになるか、恐怖になるか。
そこで作用している心理的ポイントは、「できると思っているか、できないと思っているか」です。
つまり、自分にはできると思っているときは喜ばしい気持ちになるし、自分にはできないと思っているときには恐怖に変わります。
人が緊張して足が震えるのは、「できないかもしれない」そして、「できない自分には価値がない」という観念に縛られているとき。
そのとき、人は一歩も前に踏み出すことはできなくなってしまいます。一歩も前に踏み出さなければ、人は体験を積むことができません。体験を積めないので変化も起きない。
話を「恐怖することを恐怖している」というところに戻しますが、
例えば、ジェットコースターやお化け屋敷。
あれらは「恐怖で遊ぶ」アトラクションです。
そこに恐怖がなければ、あのアトラクションは成り立ちません。
遊園地やUSJ、ディズニーランドで一番人気のアトラクションは何でしょうか?
ジェットコースターや、それに類する「スリル満点」つまり「恐怖満点」のアトラクション。みんなスリルが好きだし、恐怖が好きなわけですよね。
もしも、超ノロノロで、常に平坦なまっすぐドストレートのジェットコースターがあったら、人はそのアトラクションに長蛇の列を作るでしょうか?
もしも、超明るくて、お化けがどこにいるかバレバレで、なんかもう「あー」って出てくるタイミングとか分かってて、出て来たお化けが「ふなっしー」だったらどうでしょうか?
若干怖いか。ふなっしーは。笑
話を戻して、恐怖というものは、完全になくなることはないでしょう。生物だし、人間も結局。
減らすことはできるし、無駄なことに怯えることはなくしていくことはできます。
でも、何のために恐怖を減らし、不必要に怯えなくなるようにするかというと、
ちゃんと恐怖し、ちゃんと怯えるためです。
ちゃんとという言葉はニュアンス的に若干微妙かもしれませんが、
ここで言う「ちゃんと」というのは、それで「遊ぶ」という感覚に近い。
好きな人には、ドキドキしながらビビりながら不安になりながら、声をかければいいんですよね。どこかでその恐怖は幻想であることを知りながら。そして、その恐怖はアトラクションなんだと思いながら。
もちろん、その恐怖はリアリティがありすぎてそうは思えないことが多いでしょう。それでいい。それくらいリアリティがあるのが、いい。笑
色んな恐怖のあるこの世界で、自分が何ができるのか。何を体験できるのか。どこまでのことができるのか。
その営み全体が「アトラクション」のようなもので、恐怖を味わい尽くし、その恐怖が幻想だったと知る解放感を味わいながら生きていけばいいんじゃないかと思います。
恐怖サイコー!
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