好きなように楽しく生きる方法っていうのは要は、
常識以外の自分の基準を持つこと
だと思うんや。
常識っていうのはまあ、外から言われたこと。
常識以外にも、他人の声とか価値観とかある。
「決まった答えが存在するんだよ」
と教えられてきた俺たちは、とにかく外の声を優先するようにプログラミングされてる。
それが、苦しさの原因なわけだ。
要は。
イケジュンは常識には従ってこなかったな〜と思うけど、
常識の外に行ったら行ったらで、「常識の外の人たちの常識」みたいなもんもある。笑
こうしろ、ああしろって。
いやこれ本当にね。
ガン無視やけどな。
とにかく人は自分の価値観を正当化したいし、正しいと思いたいわけだ。
だって、「それが正しい」って言われたら安心するでしょ。
でも、本当に自分を持つっていうことは、
独りでも歩いていけるってことだし、別に周りに合わせなくても、周りから「あいつはああだこうだ」と言われても、それでも自分の基準に従って生きていくこと。
堂々とね。
よ〜く自分の心を観察してみると、
他人の目、他人の価値観、他人の基準に合わせられないでいる自分を責めているはずだ。
でも、自分の基準を持てば、そういうことはなくなる。
例えば、
「俺は年収1億円だぜ!ベイベ!」
という人が現れたとしても、
「私はそんなにいりません」
と言えばいいだけ。
そこで自分を責めるって謎。
いや、本当に1億円を心の底から欲しがっていたんなら別。(まあそれでも「やり方教えてちょ」って言えばいいだけだけど)
でも多分そんなことないでしょ。
要は、
「お金が人生でめちゃ重要だという価値観を個人的に持っている人にその人の基準を押し付けられて、その押し付けられた基準で自分のことを図れば自分は年収300万円(たとえば)だから自分はダメだということになって落ち込んだ」って話で、
そもそもその人から持ち込まれた基準自体を「クソどうでもいい」と言えれば落ち込まんわけだ。
だから、
どうでもいいと言おう。
押し付けられた基準をぶっこわせ。
そんなもん、そいつが個人的に持っているだけの基準だ。
「俺には超素敵な彼女がいるぜ」
「俺には妙なしがらみ、ストレスがないぜ。楽しいぜ」
「へーすごいね!ビッグだね!カフェ行こ」
って言え。
他人の基準で自分の人生を測らせるな。
それだけでいい。
で、もし「やっぱ1億円ほしい」と思ったなら、自分が心の底から求めるっぽいって気づいたなら、普通にそこを目指して生きればいい。
「自分の基準」を持って、ただそれを満たしていけばいいだけだ。
そこに良い悪いも上も下もない。
お金を欲しがってもいいし、欲しがらなくてもいい。
他人の基準にNoを言えたときから、心は解放される。
そうすれば、軽やかな気持ちで人生を生きられると思うよ。
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