取り組みたいことがあるけど、なかなか取り組めないという相談が来たので、そこについて書いていこうと思う。
なかなか取り組めない。これは誰にでもあるよね。
もしも人間が、ロボットのように機械的に作業をこなすことができるなら、そんな悩みはないかもしんない。
でも、人間はロボットじゃない。
好き嫌いがあるし、気分や感情というものがある。
だから、いくらロボットのようになろうと思っても、ロボットにはなれない。
結果のためにはこれをやる必要があると分かっていても、
そのアクティビティの中に楽しさや喜びがないなら、なかなか取り組むのは難しい。
自分は昔、京都大学を受験するときにめちゃくちゃ勉強したんだけど、そのときって結局、勉強が楽しかった。
想像できないかもだけど、本当に勉強することが楽しかったんだよね。
もちろん受験勉強というのは京都大学に行くため手段ではあったけど、その中にしっかり「楽しさ」や「喜び」もあった。
だから、ロボットのように勉強していたわけじゃなくて、知的好奇心やゲームをクリアする達成感のようなものを感じながら勉強していた。
もし人間がロボットなら、受験勉強なんか簡単なはず。
実際、ロボットに受験勉強させたら、相当な好成績を取るうやろう。
でも、受験勉強で苦しむ人が多くいるのは、人間には感情があって、どれだけ押し殺そうと心の声は常にそこにあって、やりたいやりたくないという思いが存在するからだ。
大事なことは、できる限り活動そのものの中に喜びを感じられるようになること。
手段化されることで生まれるモチベーション問題
例えば、文章を書くことを例にするなら、今は時代的に文章を書くことが「手段化」されている時代だ。
文章を書くことが楽しいから書いてます!という人はもちろんいるけど、
何らかの結果を得るために書いてます!おれ!という人の方が多いんじゃないかと思う。
それが悪いというわけじゃなくてね。
ただ、文章を書くことが楽しいと感じている人、書くのが好きだと感じている人が「書けなくて…」と悩んでいる姿を想像できるかな。
ちょっと難しいよね。
もちろん良い言葉が思いつかないということはあるかもだけど、多くの人が感じる「書けない」とは別の次元にありそうだ。
書くのが楽しいから書いていますわたし!という人にモチベーション問題は出てこない。
モチベーション問題が出てくるのは、ある行動が結果を得るための手段になっている、ケースだ。
結果を得るためにはこれをしないといけないのに、その手段のこと別に好きでもなく楽しいとも思っていないから大してやりたいとは思っていませんで、
でも結果を得るためには必要なので取り組みたいんですけど、どうすればよさげですかね?という状態。
それがダメってことじゃなくて、そういう状態ということ。
例えば、書くことでみんなからチヤホヤされなきゃなんですけどわたし…という場合、書けない問題が出て来たりする。
でも、書くのが楽しい人はそんなことを考える前に書いている。
だって好きだから。楽しいから。
書くことがチヤホヤされる手段になっちゃった。
だから、書けない。
「チヤホヤされるどうかなんてどうでもいから、どうせチヤホヤされる前からあんたは素晴らしいんだから、好きに書けばいいんだ。そして、その大前提を持った上で、愛を持って伝えればいい」
というのが一つの道なんだけど、その心境に【本当に】辿り着く前に書くのをやめてしまう人は多い。
【チヤホヤされないならやらない】【チヤホヤされなくなったらやめる】ということは、
そもそもそれ自体が好きなわけではなかったか、手段にすることに慣れすぎて己を見失ってしまった、ということなんだろう。
人は、いつのまにかある行動が何かの結果のための手段になることによって、モチベーション問題と遭遇する。
とはいえ。実際、ある行動がある結果を得るための手段になることなど普通にある。
実際、避けられない。ちょべりば。
好きなことを仕事にするなんていうのはその最たるもので、好きなこととは本来それ自体で完結していることだ。
ただそれができれば楽しいというだけのものだ。
それを仕事にするということは「それ自体が好きで完結していたことを、他者を喜ばせる手段にする」ことになる。
ここで、一つの壁が出てくるわけだね。
ここを越えられるかどうかは、一つ大きなところ。
そもそも好きでやっていたことなのに、仕事にした瞬間から苦しくなって来たぞ…というのは、
【好きなことが結果のために手段化される】ことで出てくる苦しみなんだ。
10年の経験から見えてきたこと
イケジュン自身、10年以上こういう仕事や働き方をしておりますので、何度もそういう心境とは遭遇してきた。
その中で一つ一つ己の苦しみと向き合い、どうすりゃええんやまじまんじと悩み、解決策を見つけ出すという、そういう試みを一人孤独に続けて来たわけね。実は。
まじ孤独なんやでその作業。
でも、だからこそ続けられる。自分の苦しみの原因に気づき、解決策を見出して行く。
結局、その力でここまでやってきた感はある。
誰も答えは教えてくれない。てか、知らない。自分でやるしかない。
自分を感じ、試し、違ったわこれ。じゃあこれはどう?って感じで、己にとって最適な形を見出して行く。
結局そこでやっていくのは、
結果のための手段であるという形式はありながらも、それでもそれ自体の中に喜びを見出せる己にとってのワクワクするやり方の追求だ。
ちょっと難しいかな。でも、そういうことなんだ。
結果のための手段であるという形式から完全に抜け出すことは難しい。
そこから逃げるなら、仕事にしないとか、結果はどうでもいいとか、そういう話になってしまう。
それだと現実的に生きていくのに支障が出てくる。
だから、そこから逃げることはしない。
ただ、逃げないけど、正面突破もしない。
楽な道を探す。
楽だろうが辛かろうが、辿り着ければいいわけで、上り坂をわざわざ登るんじゃなくて、下り坂を探す。
歩いて行くんじゃなくて、電車乗る。あの、飛行機ありません?って聞く。
楽に、スムーズに行ける道を探す。
あきらめるのでも、苦労しまくるのでもない、第三の道。楽に行く。
その道がどこかにあるはずだと信じ、その道を見つけ出すことにエネルギーを注ぐ。
要は、そういうことなわけだ。
取り組みたいけど、取り組めない。
そういうときは、結果のために必要なんだから!と、機械的に、自分をロボット化して作業をしていくのも一つの道だ。
それでできることもある。
結果だって手に入るかもしれない。
ただ、モチベーション問題でいつも苦労するだろうし、気合いと根性が常に必要になり、何でやらないんだ!と他人を責める気持ちも強くなるやろう。
燃え尽きを感じ一人佇む自分に出会うこともあるかもしれない。
結果のための手段であるという形式がそこにありながらも、それでも、それ自体が楽しいという在り方をそこに見出して行くこと。
ワクワクするやり方で、やること。
心を殺すのではなく、心を生かす道へ。
機械になろうとするとき、結果のためのマシーンになろうとするとき、心は邪魔者に見える。
でも、本当にそうなのか?
自分の心がそこにあるからこそ、実現できることがある。
自分の心こそが、自分にとってのベストな場所に連れて行ってくれる。
自分の声は、敵なんかじゃない。最高の味方なんだと。
そう捉えることから始めよう。
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