さて今回は、「どうしても舐められてしまう…」ときのメンタル的な対処法について書いていきます。
なぜか低く扱われる、なぜか雑に扱われる。そういうときってつらいよね。
実はイケジュン自身が昔そうで、ていうか、いじめられたこともあるくらいの感じだったから気持ちはすごく分かる。
ということで、そういうときの対処法を見ていこう。
軽く扱われるときの対処法
基本的に、どうしても舐められるという場合に考えるべきは、自分の状態。
メントレの基本として、
他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。という鉄則がある。
他人に何を言うか、他人にどう対応するかは変えられるけど、
他人を強制的に変えることは本質的にはできないよね。
だから、舐めてくる人がいたとしても、その人自身をどうにかしようとしてもなかなかうまくいかない。
その人をどうこう、周囲の人をどうこう、ではなく、自分自身の状態を変えていくことが本質的な道になる。
つまり、自分が「人から舐められない、軽く扱われない状態で在る」ことに取り組んでいこう、ということ。
例えば、めっちゃ極端な例だけど、怖い人に舐めた態度は取れないよね。笑
そう。
人間は、相手の態度、相手の状態を見て、自分がどうするか決めている。
ということは、自分の態度を変えれば相手の態度も変えられるということ。
だから、新しい自己概念で生きる練習をしていくことが大切なんだ。
舐められない本質は、高い自己概念
例えば、世の中の情報の中だと、
「Noを言うことが大事」「たまには怒りましょう」「言いたいことを言いましょう」といったものが多いかもしれない。
アクションレベルのアドバイスというのは具体的で分かりやすいから良くて、それに加えて、本質を押さえておきたい。
Noを言うとか、言いたいことを言うというのは、
自己概念が高い人がする具体的なアクション
なんだよね。
だから、それらの行動をするということは自己概念が高い人の行動をしているということだから、他人にも舐められないようになっていく、ということ。
なので結局本質は【高い自己概念で生きること】だから、そこを押さえておけばいいってことなんだ。
自己評価で自分を支える
ただ、それが難しくなることの原因があって、それが周りに好かれること、周りに評価されることが重要になりすぎてしまう状態だ。
過去のイケジュンはまさにその状態だった。
いじめられたときや、いじめられた後なんかは余計にそうなったんだけど、
他者と意見が異なることとか、嫌われそうなこととか、無視されそうなこと、そういったことが恐怖になってしまって、
自分を大事にすることよりも前に「好かれること」がメインの目標になってしまった。
面白いというか、皮肉なことに、好かれよう好かれようと頑張っているときほど、人は好かれない。
ここで苦労する人も多いはずなんだけど、それはなぜかというと、
人は自己概念通りの現実を生きるから、「好かれたい」という気持ちが強すぎる自己概念の低い状態では、その低い自己概念に見合う現実を体験することになってしまうんだね。
好かようと頑張ることをやめるためには、高い自己概念が必要になってくる。
自己概念が高いとは、自分で自分を認める力がある、ということ。
自分で自分を認めれば認めるほど、周囲に好かれることは必要ではなくなってくる。
すでに自分で自分を認めているから。
逆に、自分で自分を認められないほどに、人から好かれたり尊敬されたりすることが必要になり、
結果、無理に好かれようとして逆に好かれなくなってしまうわけなんだ。
好かれる前から状態が安定していて、好かれるかどうかがそれほど重要ではないと感じている状態になること。
その状態を手に入れられるようになると、自然に舐められない、一目置かれる存在になっていける。
自己概念を高める具体的な方法
周りの評価を気にしすぎている、好かれることが重要になりすぎているときというのは、
愛想笑いが多く、微妙に会話が成立していない
どこかビクビクしてしまう
相手の目を見ることができない
Noを言うことができず、自分を犠牲にしがち
といった状態になっていることが多い。
そこから状態を変えていく具体的な方法というのは、
高い自己概念を持っているとしたら、どんな振る舞いをするか?
を考えてみること。
ここに関しては、過去に本も出版しているので良かったらこちらもチェックしてみてね。
「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」
一つの方法としてオススメなのは、実際に自己概念が高い人と同じ時間を過ごして、その人の感覚や雰囲気を感じること。
高い自己概念を持つようにすると、今までとは行動が変わったり、雰囲気や表情なんかも変わってくる。
例えば、さっきとは逆の、
Noを言うことができる
落ち着いて会話ができる
堂々としている
自分の意見を大事にできる
ということだったり、他には、
無理に頑張らない
人の目を気にしない
ドタキャンする
手を抜くところは手を抜ける
手伝って〜と言える
ちゃんとしない
といったことをするようになる人もいる。
俗に言う「頑張らない」ことをやり始めるケースもあるわけなんだけど、なぜそうなるかというと、
それまでは「こうしないと自分はだめだ」「認められるためにはこうしなきゃ」という、低い自己概念から来る行動をしていたからそうなるわけだね。
だから、何かをやめたときの本質って「頑張らない」ことというよりも、【高い自己概念で生きるようになった】こと。
そう生きたときに、結果的に、頑張らないようになる人がいるということ。
逆に、高い自己概念を持っているからこそ、本気で頑張る人だっている。
ビジネスやスポーツの世界ではそういう人が多いよね。
頑張らないが本質だと思ってしまうと、逆に行動すること、アクションすることに抵抗を感じてしまうことがある。
だけど、頑張らないを伝えている人は毎日ブログを書いたりして、すごい行動量だよね。笑
つまり、本質は頑張らないことにあるんじゃなくて、【高い自己概念で生きる】ということ。
行動量の問題ではないわけだ。
高い自己概念を持っているからこそ、テキトーにブログ書く、とかもできるわけで、
行動はしているし行動量も毎日安定しているわけだから、行動しないこと、頑張らないことが本質なんじゃない。
【高い自己概念で生きること】が本質なんだね。
高い自己概念で生きたときに、結果的に、休む、だらける、何もしない、頑張らないを選択する人もいるし、
これまで低い自己概念で頑張ってきた人にとっては、それはすごく大事なことなんだ。
(ただ、情報の流通としては「高い自己概念」より「頑張らない」の方がわかりやすいから、流通としては「頑張らない」に軍配が上がる。ただ言語化が正確性に欠けるから混乱する人が出てくることも想像できる)
高い自己概念で生きるようになると、だんだんと状態が変わって来る。
例えば、仮に飲食店で働いているとして、自己概念が低いと、あたふたしたり、慌てたり、あわわという感じになってしまったりすることが多い。
心が不安だから、先輩や店長にどう思われるかを気にしてしまい、目の前の仕事に集中ができていないわけだね。
それが、舐められる、軽く扱われる、の根本的な原因なんだ。
その「状態」がそこにあるから、どこに行っても他人からの扱われ方というのは変わらなかったりする。
外側にいる人は変わっているのに、自分の状況としては変化がないのは、自分の状態が変わっていないから。
ただ、自己概念が上がってくると、落ち着いて仕事ができるようになってきて、怒られても「技術向上」と捉えることができたり、落ち込まないようにもなっていく。
その際に大事なのは、高い自己概念を持っているとしたら、どうするか?を考えイメージすること。
そして、自分の行動を少しずつそちらに合わせていくこと。
ここは、ある程度のトレーニング期間が必要になる。
というのも、基本的に人は過去の感覚、これまで続けてきた状態を維持するものだから。
変化を起こすにはトレーニングが必要で、トレーニングというのは「意識する」ということ。
違う状態、違う在り方、違う感覚に意識的にアクセスする、ということをトレーニングしていく。
そこを積み重ねていけば、自然に舐められず、軽く扱われることもなくなっていきます。
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