最近は、5冊目の本の原稿と向き合うことも多いのですが、1冊の本を書くエネルギーというのは相当なもので、
書けばいいということではなくて、良いもの、エネルギーや感情がこもったものを書く必要がある。
というわけで、想像以上に大変なことも多いわけですけど、
結局、本を書くにしても何にしても、「行動する」ということが当然のごとく必要になります。
ただ、この「行動する」ということ。
どういうイメージがありますか?
結構、大変だなあ、億劫だなあ、怖いなあ、と思う人も多いのではないかと思うんです。
で、それってなんでかっていうと、行動することにネガティブな想念がからみついているから。
失敗したことがある、とか。
なんか、やたら責められた、とか。
恥をかいた、とか。
そうやって、「動く」ということにネガティブな想念がひっつきまくっている。
だって、ちょっとイメージしてほしいのですが、
よくある仮定ですけれど、「全部うまくいく」という仮定があったとしたら、なんでもガンガンやれると思います。
ちょっと大変なことがあったとしても、できるとわかっていれば、大丈夫だと知っていれば、できます。
人間はそもそも喜びを求めるもので、ネガティブな想念がなければ、
喜びに向かって一直線になれるはず。
子供とかってそうですよね。
ただそこに、勝ち負けの「負け」のイメージが強いとか、拒絶される恐怖とか、
そういうものがいろいろひっついてくると、動くのが怖くなってくる。
ただ、ここで、想念があまりにも強い人に対して、
「動け!」と強く言ったとしても、なかなかうまくいきません。
そのときはもしかしたら動くかもしれないけれど、心の奥深くにある想念が消えていないので、
また動けなくなるのです。
(仮に、えいや!と動いて、うまくいって、それがもとになって想念が消えることもあります。なので、無理やりやらせることが良い場合もあるのですが、それはそういったことが分かっている人で、そういう意図を持っているということが大事。人をコントロールしようという意識状態の人がやってもうまくいきません)
怖い、と無意識に感じる。
人間の心について無知な大人、それは親や先生も含みますが、
そういう人は、想念の存在を全く無視して、無理やり強制すればやる、と思っているのです。
もっと言えば、「こいつはダメなやつ」という認識で接し、恐怖を与え、コントロールすることで動かそうとする。
ただ、その人が動けるのはネガティブな想念がないからであって、その人だってネガティブな想念があれば途端に動けなくなるのです。
そういうものです。
例えば、私が以前、女の子と接することが苦手で、自分に彼女をつくることを許可できない子と話したとき、
そこで必要なのは、その子の想念を除いてあげて、自分の望みや願いに許可を与えることでした。
しかし、例えば、人の心がわかっていないと、
「はやく彼女つくれよ!」みたいな感じになるし、彼女がいないのはダメだ、みたいなことを言い始めてしまいます。
ですが、その対応で、人は変わりません。
絶対に変わりません。
その子は余計に傷つき、上から目線で指摘した人は、「やっぱりダメなやつだった」となる。
世の中の多くの大人は人の心がよくわかっていません。
だから、「善意で」その人の可能性を潰すことをやってしまうのです。
例えば、誰かに学ぶにしても、「自分がよくなる」という観点で考えたときに大事なのは、その人がどれだけ成功しているかよりも
その人がどれだけ人を良い方に導いているのか、人を良くしているのか、だったりします。
自分が成功することと、人を成功させることは、全く違う「分野」です。
そもそもの次元が違います。
でも、ほとんどの人はそのことを認識していません。
だから、その人がどれだけ成功しているかだけを見て、その人が人を成功させる考え方、スタンス、意識を持っているのかどうかは全く見ていない。
それでは上手くいきません。
何度も同じことを言うのですが、大事なのは自分の価値を信じること、自分を愛すること、自分に誇りを持つこと、自分に許可を出すこと。
ネガティブな想念を取り除き、自分がしたいことをできる、自分を大事にできる状態になったとき、現実が動き始めるのです。
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