今日は、メルマガの内容にピッタリな曲を。
:Dragon Ash Blow Your Mind
私は普通の公立中学、高校の出身で、
中学には、たくさんの「ヤンキー」がいました。
中学生当時、ヤンキーたちはまさに、
恐怖に震える
存在で、逆らったら最後、暴走族を気取った「原付バイク集団」に追われることになる…
そう、震えていました。
私は結構、中途半端に悪いヤツらとつるむ立ち位置にいたのですが、
そういうのが一番ヤバくて。
ヤンキーになりきることができないので、本当の友達になれない。
で、絡まれたり。
小学生の頃にいじめられた経験から、
そのときすでに自己評価が低かったので、
「すいません、へへへ…」
なんて、笑ってました。
ビビっている自分が嫌になりながらも、
逆らうことはできず。
そうやっていると、何だかそれが当たり前になって、
さらに自己評価は下がっていきました。
時が経ち、浪人時代。
家にお金がなかったことから、
アルバイトをしながら受験することになりました。
中高とサッカー部に所属していたのでバイトはそれが初めて。
とんかつ屋で働くことになったのですが、
そこで待っていたのが鬼店長。
怒鳴るし、声はでかいし、リーゼントっぽい髪型で、顔いかついし、
バイトに怒って物は壊すし。
ホントに怖い人でした。
そうなると、もう大変。
自己評価が低いことからそういう人が苦手だった私は、
またもや、その人のご機嫌を取ろうとし始める始末。
ただ、このときに、もうそんな自分を変えたい、と思うようになったんですね。
いつまで媚びてんだ、俺は…
いつまでビビってんだ、俺は…
と。
そこから、より一層自分と向き合うようになり、
「恐怖」と闘う日々が始まりました。
私の中にはたくさんの
恐怖
がありました。
とにかく、無意識レベルに恐怖がある。
それを、どうにかしないといけない。
無意識レベルに反応する自分と向き合いながら、
私は、自分自身の価値を信じること、自分に自信を持つことの大切さ、その意味に、気づいていきました。
そして、時は経ち。
これはつい1年前くらいのこと。
「お前、調子のってんじゃねえのかあ!!!」
おじさんが、叫ぶ。
50代かな。
私が、そのおじさんが好きな女の子と喋っていたのを見て嫉妬したようで、
それらしい理由をつけて、怒鳴る。
熟練感のある、なかなかの凄み方。
「なるほど、こうやって今まで陰で人を押さえつけながらやってきたんだな」
ということが伺えました。
久しぶりに、面と向かって自分に対して怒りをぶつける人に出会ったのですが、
私は、昔の私ではない。
「いえ、そんなことはありません」
特に、反応しない。
怒りもしないし、媚びもしない。
乗らない。
相手は、その反応のなさに拍子抜けしながらも、
引っ込みがつかず、さらに凄む。
「おい、反省してんのかよ、ああ!?」
「…」
こりゃ、殴りかかってくるかもな。
そうなったら?
逃げる。笑
それでもダメなら…。
昔なら、人に否定されたり、怒られたりしたら、自分をも否定し、責めたかもしれない。
でも、それは昔の自分。過去の自分。
今は、違う。
自分に価値があることを知っている。
自分と向き合ってきたから、
相手の中で何が起こっているか理解できる。
相手の気持ちも、分からないでもない。
ムカつくのだろう。
悲しいのだろう。
寂しいのだろう。
怖いのだろう。
自分の価値を信じられなくて。
だから、怒っている。
仕方ない。人間、そういうこともある。
自分だって、そういうこともある。
「おじさんも、つらいよな」
そう思いながら、怒りで顔がピクつくおじさんを見据える。
おじさんが殴りかかってきたら、
逃げる。
でも、もしそれでもダメなら、
悪いけど、俺もおじさんを殴らなきゃならないかもしれない。
それはおじさんが憎いのではなく、
自分が自分を大事にするため。
自分を守るため。
自分が、自分の価値を信じて生きていくため。
ただ、自分のために。
だから、恨んでくれるなよ、おじさん。
そう思っていたけれど、結局、
そのおじさんも頭が上がらない人に仲裁に入ってもらって、事なきを得ました。
その出来事が、
そこで示せた自分の在り方が、
さらに自分に自信を与えることになったのは、言うまでもありません。
(ちなみに、それ以来おじさんとは関わっていません。実話です)
人一倍恐怖心が強かった私も、今では、変わりました。
なぜ変われたかというと、結局は、
自分や、自分の中にある恐怖と向き合ってきたから。
自分をごまかさず、嘘をつかず、
弱さを認める。
目を背けてしまうところからも、目を背けない。
そうやってきたからかな、と思います。
人は必ず変われるし、大事なことは、自分の価値を信じること。
安売りする必要もなければ、犠牲にする必要もない。
いつも遠慮したり、自分なんて、と思っている人には、
わがままになるくらいが、ちょうどいいものです。