好かれようと無理すると報われず、普通にしていると報われる

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以前に「無愛想の練習をしよう」という記事を書いたのですが、ちょっと今回は、ついつい人に好かれようとしてしまう人のことを考えてみましょう。

(写真の犬は、好かれようとしていない感じが気に入ったので。笑 眠いものは眠い)

人に好かれるために色々頑張ってしまう人は、

『普通にしていたら好かれない』ということをどこかで覚えてしまったんですよね。

だから、普通にしていられないわけです。なんかちょっとこう、よく見せよう、という感じになる。

これ、対面のコミュニケーションだけでなく文章でも同じで、普通にしていたら好かれないと思っていると、文章も面白くなくなるんですよ。

これマジ。

固くなったり、距離がある感じになったり、本来の自分が出せなくなっていって、で、結局面白くない文章になる。

普通に書いた方が面白いのに、気張ることで逆に面白くなくなる。

文章書けないときって、大体、自分をよく見せようとしているときや、本来の自分を偽る文章を書こうとしているときです。

会話でも同じで、何か気張って「面白いこと言わなきゃ」とか思っているときって、大体スベる。笑

でも、普通にしているときの何気ない言葉が、やたら面白い一言になったりする。

何か天然っぽい人って面白いじゃないですか。何でかっていうと、好かれようとして気張ってないからなんですよね。

犬とか見てても超面白いことがあるんですけど、「何やってんだ、こいつ」と思うことがあるんですけど、彼彼女らも好かれようとはしてなくて、自由だから面白いんですよね。子供もそう。

好かれようとしているときは好かれず、好かれなくてもいいと思っているときの方が好かれる。

普通でいられるっていうのが大事で、でもどこかで「普通にしていたら上手くいかない」と覚えた人にとっては、案外それが難しいものなんです。

ホント好きなように自分勝手に生きていたとして、それを「こら!ちゃんとしなさい!」と言われたとして、

普通に好き勝手生きていたら怒られた経験から、「あ、普通に好き勝手生きていたらいけないんだ」と思うようになる。

こういうことっていっぱいあって、寝たいから寝てるのに「ああ、寝てしまった」と罪悪感を抱いたり、休みたいから休んでいるのに「ああ、休んでしまった」と思ったり。

仕事したいから仕事してるのに「ああ、仕事ばっかりして…」と思ったり。

好きなことをしているのになぜか「罪悪感」を感じて、わざわざ自分を苦しめたりブレーキ踏んだりしているんですよね、私たちは。

でも、いらないよねそれ。という話なんです。

「無愛想の練習をしよう」というのは、一旦、好かれたいという気持ちの逆をやってみよう、ということ。

これ、抵抗のある人ほどやってみると良いです。

普通でいられるようになることが大事で、普通でいられたらなぜか好かれたり、人間関係のストレスが激減したり、何もしていないのになぜか魅力的に見られたりするもの。

第一歩としては、まずは自分に気づいていくことです。

自分が今どういう状況で、今自分が何をしているのかに気づかなければ、それを変えることだってできないわけですから。

こういう文章を読むことの利点は、「自分が何をしているのか」「自分の中で何が起こっているのか」に気づいていくことです。

自分が何をしているのか、自分の中で何が起こっているのかに気づくことができれば、それを変えるという「選択」ができるようになって、そこから変化が起きて来るもの。

なんですよね。

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ねみー。

 

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