他人からの否定を気にしない力とは、実は論理的な力である。

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先日、香港に行ってきて、そこで色々思った。

まあ海外なんで当然日本語は通じない。

ただ、

 

「空港だったらいけんじゃね?」

 

と思って、

 

「キャンユースピークジャパニーズ?」

 

ってインフォメーションの人に聞いてみたよ。

でも、

 

「ノオウ」

 

ってすげえ綺麗な発音で返ってきたんで、

 

「オーケイ、オーケイ」

 

って、通常「オーケー」のところを、若干それっぽくなるかと思って「ちっちゃいイ」を最後につけて返しておいた。

 

で、空港ってまだ発音がいいからいいんだけど、

ホテルの人とか何言っているか全然分からなかったんだよね。

 

一瞬、「まあ、俺英語力とかないからなあ」とか思ってたんだけど、

でも、ふと思ったんだ。

 

「この人、英語下手じゃね?」

 

って。

笑。

 

普通に考えて、みんながみんな完璧な英語を話すわけじゃないわけで、下手な人がいても全然おかしくない。

ということは、理解できないのは別に自分だけのせいじゃない可能性も高い。

なので、

 

「んんん???」

 

って顔したんだ。

笑。

 

「何言ってんのか全然わからんぞ」

 

みたいな。笑

そうしたら、ゆっくり喋ってくれて、理解できた。

 

これ、かなり重要な話をしているつもりで、

なぜか英語が話せないと、日本人は卑屈になる。

 

「すいません、、、わたしが悪うございました……」

 

みたいな。

 

自分が悪いんです、自分のせいなんです、と自分を責め始める。

 

なぜか。

 

でも、さっきも書いた通り、あっちの発音が悪い可能性もあるわけで、

というか、こっちは外人なんだから分からなくても別に当然っちゃ当然。

 

これは相手のせいにしろとかそういう話じゃなくて、

 

事実として、相手の発音が悪い可能性もあるわけだから、瞬間的反応的に自分を責めたり卑屈になる必要ってないよね。

 

これ、英語だけじゃなくて色んなところであると思うんだ。

 

自分なんて昔はすごく卑屈だったから、常に「わたしが悪うございました…」状態だった。

 

人のせいにしないだけ良いのかもしれないけれど、ちゃんと「事実」が見えていなかった。

 

相手の問題は、相手の問題

 

と分離させることができなかった。

 

例えば、誰かから嫌われるとか、低く評価されるとか、そういうのって「相手のフィルターの問題」でもあるわけだよね。

 

こっちが好きに生きていると、相手は相手のフィルターで、黒縁メガネでこっちを見る。

 

で、そのフィルターとか黒縁メガネって、相手次第だからこっちは変えられない。

相手のフィルターや黒縁メガネに責任を持つことなんてできないよね。

 

あ、ごめんなさい。

メガネが黒縁かどうかはわかりません!

 

話を戻して、

どう評価されるかは分からないし変えられないから、「仕方ない」「そういうもの」なわけで、そこで自分を責めたりとかする必要はないってことなんだ。

 

ブログとか書いていても、「どう読まれるか?」なんて考えすぎても仕方ない。

誰もその人のことは何も考えずに書いているのに、人によっては「あれ、私のこと書いてるう」みたいになって(笑)、

最悪の場合、被害者意識まで持たれてしまうこともあるかもしれない。

でも、それだって仕方ないこと。

相手はそのフィルターを持つことで苦しむだろうけれど、仕方ない。

 

相手には相手のフィルターがあるし、相手の問題は相手の問題なんだ

 

という視点を持っていることが大事。

 

相手は常に完璧、なんてことはないわけだから。

相手の英語が常に完璧、ということはないのと同じで。

 

もちろん、自分と向き合う姿勢、自分の内側を見ることってすごく大事なこと。

 

「全部相手が悪いんだ、私を理解してよ!」って感じで相手のせいにするってこととは違う。

 

それは結局、相手のフィルターを否定する、相手を変えようとするってことだから。

 

大事なのは、きちんと「事実」を見ようとする姿勢。

 

英語の場合、

相手の発音が分かりにくい

という事実を認識した上で、「それでもなお理解してあげられるだけの英語力があればよかった」と思うのは全然いい。

 

でもそこで、事実を見ないままに「俺英語力ないからなあ…」と自分を責め「もう、海外には来たくない!」となるのは良くないと思う。

 

相手に嫌われた、否定された。

 

「どうもすみません、確かにそうです、僕はダメ男です、もうやりません…」

 

みたいになったら、そこで止まっちゃうし、願望に抵抗してしまう。

そうじゃなくて、

「相手はできないと思っているんだな、相手には相手の正しさがあるな」

と認識した上で、

「うん、気にする必要はない」

と判断していく。

 

よく「否定されても気にするな」と言われるけれど、肚の底からそのことを理解するためには、

 

「相手には相手のフィルターがあるんだ」ということを『論理的』に理解しておくことが大事。

 

そこを論理的に理解しておけば、

 

「どう考えても気にしても仕方ないし、どう考えてもそこに左右されても仕方ない」

 

ということが分かる。

そこが分かると、「何もしない」ってことも選べるわけだよね。

自分を責めるでも相手を責めるでもなく、

 

何もしない

 

ことができる。

 

否定に対して、何もしない。

放っておく。

だって、仕方ないんだから。

ただ、受け流す。

ただ、スルーする。

 

自分は自分の願望に向かう。ただ、それだけ。

 

そういう風に生きられるようになってきて、

そうなると、どんどん本来の自分の願望が現実のものになっていくよ。

 

 

 

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