新幹線で大前研一氏の「低欲望社会」という本を読んでいた。
テーマとしてはタイトルの通り、日本人はどんどん欲望が小さくなっていて、若者はその傾向が顕著。
国民全体が貯蓄に励み、将来に対する漠然とした不安を持っている、というもの。
結局、人生は自分次第。
さっきあるサイトを見ていたのだけど、そこでも現在の12〜18歳の子供たちは世界に比べて将来に対する不安な気持ちや緊張した気持ちを持っているというアンケート結果を目にした。
世界に比べて悲観的な結果だったなあ。笑
まあ人口はどんどん減少していくわけで、政府にも期待できず、ニュースなんかを見ていてもあまり良いことは語られないから仕方ないよね。
ただ、周りの状況はそうかもしれないけど、自分は自分で自分の人生に希望を持っていくことが大事なんじゃないかと思います。
日本がどうなろうが、政府がどうなろうが、世界がどうなろうが、自分だけの力で状況というのは変えられないことが多い。
バブルの頃に生まれたらなあとか、そんなことは考えても仕方ないわけで。笑
与えられた状況の中で自分がどう在るか?自分はどういう状態で生きていくか?ただそれだけを考えていく。
日本や政府や世界に不満を並べたところで自分の人生はよくはならんだろう、と心の奥底でいつも思ってます。
心の奥底で、結局は人生は自分次第だと思っているか、
心の奥底で、悪いのは自分ではなく日本や世界や他人や親や異性や遺伝や状況なのだと実は思っているか。
心の奥底で本当はどう思っているのか?人生がうまくいくかどうかを決めているのかも、と思ったりもします。
漠然とした希望か、漠然とした不安か
話を戻して、
漠然とした不安というのは、人間の能力を縮こめてしまうというか、恐れを抱くことによって好きなことをしたりチャレンジしたりということができなくなっていくもの。
公務員になろう!という発想に近づいていく感じに近いかな。(公務員が悪いわけじゃない)
自分の心の声を聞くことよりも、とりあえず安定しよう、というところに意識が向くようになるわけだよね。
不安が強いと、とにかく心の声に従うのは難しくなっていく。
「好きなこととか言ってる場合じゃない!」となっていくわけ。
京都大学を辞めるときの葛藤
自分の場合、京都大学を中退して独立したのだけど、就職するとか弁護士になるという選択肢もあった。
実際、就職していった人は誰もが知る大企業に決まる人がほとんどだったし、弁護士試験にも普通に合格していった。
そっちの方が安定っていう意味では安定なのかもしれない。
ただ自分は全然そっちの道が好きになれず、心の声的には全く惹かれてなかった。笑
びっくりするほどワクワクしない。
毎日会社じゃなくてカフェ行きたかった。笑
でも、不安な気持ち、漠然とした恐怖を優先するならば、そちらの道に舵を切っても全くおかしくはなかったと思う。
そこで、それでもなお、自分の心の声に従うことができるか?
そういう岐路に立っているのだ、と自分では思っていた。
でも、実はその前に学部選択の時点でもそういう選択に迫られた場面があって。
法学部か、教育学部か。
どちらの学部にするか、最後の最後まで悩んでいたんだよね。
難しさでいうと、法学部の方が難しい。
だから、教育学部にするのは「逃げ」なのではないか?という思いもどこかにあって、法学部であれば俗に言う「潰しが効くだろう」という思いもあった。
まだそこまで自分の教育や心理といったところへの興味関心に自信を持てなかったことから、結局、世間的に見て評価が高く潰しも効くであろう法学部を選択。
でも、大学入学後、その選択じゃなかったなと知ることになる。
大学の勉強は面白くなく、自分の興味関心は教育学部の方にあったと入ってから気づくことになった。
そんな経験があって、
「どれだけ世間的に評価されたとしても、自分が好きでないこと、自分が興味ないことをやっていても、ちっとも楽しくないぞ。何のための人生だ?」と思うように。
大学を辞めて個人として独立する経緯としては、そんな過去の苦い思いがあった。
でも、そのおかげで自分の心の声に従う大切を知ることになったから、結局は全て上手く行っているのだけど。
世間的にはみんな漠然とした不安を持っているみたい。
でも、そんなことは関係なく、自分は自分の人生に明るい展望を持っていく。
自分の人生は上手くいくし、どういう時代になろうと楽しく生き抜いていける。
そんな根拠のない漠然とした希望を持てるメンタルかどうかが、楽しく生きていけるかどうかのカギになってくるのかな、と思います。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
本も出版しています。
「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 2016年12月発売。発売4日で増刷!
『自分の武器を見つける技術』2015年12月発売。発売1週間で増刷!