どんな親だったとしても、自分は大丈夫。

shutterstock_387823966

 

 

ジャイアントキリングという有名なサッカー漫画がある。

ジャイアントキリングというのはその名の通り、弱いチームが強いチームに勝ってしまうこと。

 

昔から、そういう話は好き。

 

自分の家があまり裕福ではなかったことや、いじめられたことなどが関係していると思うのだけど、

自分の中で「そんなのは関係ない!俺でも楽しく生きられる、望みを実現できる」と信じたかった。

 

だって、過去がどうこうで人生が決まるとか嫌だよね。

 

親がどうこうで決まるのも嫌だし、そういうののせいにはしないって決めてた。

 

あくまでも人生をどうするかは全て「自分」の問題であって、いじめた奴のせいでとか親のせいでとか、愛されなかったからとか、そういうののせいにはしたくなかった。

 

だって、そうした時点で「自分には自分の人生は変えられない」って言っているのと同じなんじゃないかと思ったから。

 

親のせいにしてたら、自分が子供を育てるときとかビクビクしそうだよね。

「自分のせいで子供がダメになるのでは…」

とかって。

でも、自分が親のせいにしていなかったら、そうは思わない。

 

「どんな親だったとしても、自分は大丈夫」

 

と思えているわけだから、

 

「自分がどんな親でも、子供は大丈夫」

 

と思える。

 

結果的に、そういう安心感のもとにいるからこそうまくいくんじゃないかと思ってる。

 

 

ある意味、不利な状況のもとに生まれたり、そういう出来事を経験するのは「ジャイアントキリング」の前振り。

自分はその状況から良くなっていけるからその状況なのであって、「自分で選んできた」くらいに思ってる。

 

数多ある環境の中で、自分がそこを選んだ。

たくさんいる親の中で、自分がその親を選んだ。

 

みたいな。

あえてそう思うようにしている。

 

そうすると、じゃあなぜ選んだんだ?って話になって、

そこに体験したいことがあったからだし、その状況を乗り来られるし楽しめると知っているから、という話になる。

 

おお、それいいじゃん。

そう考えたら、前向きになるじゃん。

やってやるぜ!って思えるじゃん。

よし、採用。

それが本当かどうかはどうでもいい。

それが本当かどうかの探求もどうでもいい。

他でももない自分の心が前向きになったら、それでいい。

現実的に生きやすくなるなら、それでいい。

よし。

そういうことにしよう。

 

って感じで、今まで生きてきた。

 

そうしたら、心はすごく楽になった。

 

誰々のせいで…

と過去の出来事や人にしがみつくのではなく、

 

「全ては自分が選んだことだ」くらいに思い切る。

 

その方が、前向きに生きていけるよ。

 

 

 

より深い内容は、メルマガにて書いてます。

作家・コーチ 池田潤オフィシャルメルマガ登録はこちらから。

 

本も出版しています。

「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 2016年12月発売。発売4日で増刷!

15050086_1234694976587033_1261546830_n

 

『自分の武器を見つける技術』2015年12月発売。発売1週間で増刷!

スクリーンショット 2015-11-24 22.06.49

shutterstock_387823966