好きなことに挑戦したのに、だんだん苦しくなって続かなくなる理由。

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好きなことを嫌いになる。

そんなことがあるのか?と思うかもしれないけど、全然、そんなことある。

 

例えば、具体的にするために自分の文章の話を。文章に興味のない人にも役立つと思うので。

 

ブログをずっと書き続けているけれど、書くことが苦しくなったときがある。

すでにブログやメルマガ、書籍やコラムなんかもいれると1万記事以上は書いてきているはずだけど、ず〜と順風満帆に書き続けてこれたわけじゃない。そんな人間がいたら神でしょう。笑

少なくとも、自分はそうじゃない。

 

ごく普通の男。

 

でも、そこで「何で書くことがつらくなってるんだ?」と本気で向き合うことはできていたのだと思うし、

「必ず、楽しく書き続ける方法があるはずだ」という信念は揺るがなかった。

 

そこをあきらめようとは思わなかった。

 

だから、「なんか、おかしいのう」と思いながら、どこがおかしいのか向き合ってきて、結局行き着いたのは、自己評価、なんだよね。自分が自分をどう思うか。

 

文章に関して言えば、自分が自分の文章をどう思うか?ということ。

 

この、自分が自分の文章をどう思うか?という自己評価がどんどん下がっていったときに、苦しくなるわけだ。

 

具体的な話をしよう。

 

例えば、ある日、なぜかすごく頭が冴えていて良い記事を書くことができたとする。

周囲の反応も上々で、「面白かったです!」とか言ってもらえる。

ただ、その翌日もそれと同じくらいのクオリティの記事が書けるとは限らず、そこで「周囲の期待に応えなきゃ」とか思い始めると、苦しくなってくる。

他にも、「昨日と同じくらいのクオリティの記事を書かなくちゃ」なんて真面目に考えてしまって、そのマインドセットで書き始めたら、

間違いなく、良いクオリティのものは書けない。

 

それはもう、経験上、間違いなくそう言える。

 

だって、昨日はその心理状態ではなかったわけで、明らかに昨日のようなクリエイティビティが発揮される状態ではいられていないわけでしょう。今日は。

 

昨日よりも悪い状態なのに、さらに良いものを書くことなんてできるわけがない。

 

だけど、多くの書き手は、そうやって自分で自分を悪い状態に追い込んでしまう。

「もっと良いものを書かねば…周囲の期待に応えねば…」

そう思ってしまうんだ。

 

状態超下がってる。

 

じゃあ、良いものは書けない。

 

他ならぬ自分だって、そう思っていた時期がある。

でも、今はどう思うかというと、

 

「しゃらくせー!」

 

と思う。

 

しゃらくせえ。

 

これは、どういうことかというと、面白かったという声に喜びつつも(そこは喜ぶし、声をいただくのは超ありがたい)、そこを自分の書く唯一の原動力にはしない、ということ。

 

相手が面白いと思うかどうかなど、わからない。こちらは相手のためにもなると思って書いても、そうは受け取ってもらえないことだってある。

 

こちらが面白いと思っていても、相手が面白いかはわからない。

 

この記事だって、後から抽象化するけど、今の時点では文章に興味のない人からすれば微妙だなと思われているかもしれない。

(でも、書いている自分はズバババ!という感じで書けている)

 

もしかしたら、記事によっては、ズバッと書きすぎて相手を傷つけてしまうかもしれない。

でも、同じ記事を「あの記事のおかげで」と言ってもらえるかもしれない。

自分もそういう経験がある。

 

一方にとっては嫌な記事でも、一方にとっては人生を変えるきっかけになる。そんなことは、書き続けていたらザラにあるわけだよね。

 

もう慣れた。

 

だから、書き手はネガティブな反応があっても「うるさい」くらい言っていればいい。笑

じゃないと書き続けることはできない。創造の手が止まれば、本来喜んでくれていた人に喜んでもらうこともできなくなる。

 

メンタル状態悪くなったら、基本、人は何もできない。才能も開花しない。

 

じゃあ結局何が大事なのかというと、

自分が楽しめていること、自分がこれは役に立つと思えていること、自分の信念がそこに表現されていること。

 

そこさえ守っていれば、その記事が昨日よりどうか?なんてことはどうでもいいことだ。まじでどうでもいい。

 

昨日は昨日。今日は今日。今日は今日の創造の風が吹いているのであって、昨日よりそれが優れているかどうかなど、どうでもいいことだ。

 

という風に自分のメンタルを持っていけることがすごく重要なわけで、そういうメンタルで書いた文章にはエネルギーが乗る。なんかいい感じなんだ。

 

でも、迷いながら書いている記事というのは、エネルギーが乗らない。

ホント、そう。イケジュンの場合も、エネルギーが乗っていない文章だってたくさん書いてきた。でも、それもいいんだけどね。それでいい。

いつでもエネルギー高くいる必要すらない。不完全でかまわない。それが人間ってものだから。

 

で、話を本筋に戻して、

 

自己評価が低い状態では好きなことすら苦痛になるし、嫌いになってしまう、ということなんだ。

 

自分で自分の生み出すものをジャッジすることで、人は好きなことすら嫌いになることができる。

 

結局、自己評価があまりにも低ければ、自分の好きなことだってわからなくて当然なんだよね。だって、好きが嫌いにすらなってしまうわけだし。

誰かと自分を比べて「自分なんかが」と思ってしまう、自分の願望に抵抗してしまうわけだから。

 

さらに言うと、多少の自己評価の高さがあったとしても、高まりきっていなければ、ブレる。

 

他者を見たときに、ブレる。

自分なんて、という思考に入る。

そうなれば、活動を楽しめなくなる。最高の気分でできなくなる。

 

最高の気分でできないなら、そこにエネルギーは乗らない。今が楽しくない。

結果、結果も出ない。

そういうループに入ってしまう。

 

だから結局何が大事なのかっていうと、自己評価であり自信であり自尊心なわけです。

そこさえ高めてしまえば、あとは本当に楽なんですよね。

 

 

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