自己概念を上げようといったようなことを言ったときに、抵抗を感じてしまう人っていると思う。
自己概念を上げるっていうのは、要は自分がやりたいことをする、やりたいことをし続けるためのものなんだけど、
そこをやろうとすると、今までの自分からは変わるわけで、そうなると都合の悪い人が出てくる。
例えば、自分が本当はやりたくなかったけど嫌々やっていたことを「やめる」とか言い出したら、それをやってもらっていた人からすれば困るよね。非常に困る。
そうなると、その困るという気持ちは少しみっともないから、もう少し別の言い方で責められることになったりする。
正しくないぞとか、どうなんだそれは、とかね。
そういう風に言われるのって気分良くない。
そんな気分良くないことを体験するくらいなら、、、、、、
自分が我慢しよう
ってなるわけよ。笑
そのパターンなわけよね、ずっと。
で、我慢するのは、そうやっていれば周囲の評価を保つことができるからなわけで、
我慢することで周囲の評価を下げないように頑張っているわけだ。
要は、
自分がしたいことをすることよりも、周囲から評価を下げないことの方が重要
と考えているわけで、その我慢している状況というのはちゃんと「願望通り」になっているんだよね。
表面上は。本当のところでは違うんだけど。
これ、やめる方向での話になっているけど、やる方向でも同じこと。
そんなことできないよとか、今更とか、何かをやるっていうことで周囲がなんやかんや言ってくることだってある。
そのときに自分の意志を貫くのって、めんどくさいんだよね。笑
あーもういちいちまじでうるせえ!
ってなる。
そんなことになるくらいなら、、、、、、
自分が我慢しよう
きたこれ。笑
これよ。
こうなるんよ。
自己概念が低いというのは別の言い方をすれば、軸が他人にある、ってこと。
軸が他人にあるってことは、他人がどう思うかを基準に行動を決めている、ということね。
他人がどう思うかっていうことを気にしてしまうのは、ある程度仕方ない。それは別にいい。
ただ、そこを「基準」にして行動したときに、結局は不満とか後悔とかそういうものが出てくる日々になってしまうんだ。
で、もっと細かく言うと、他人を基準にしてこれまで生きてきた場合、他人がどう思うかということに敏感になっているから、
ある程度予測がついちゃうんだよね。
絶対反対してくるぞ
絶対正論を振りかざしてくるぞ
絶対自分の正しさで裁いてくるぞ
とか、分かっちゃうし、想像しちゃう。笑
もうなんか、めんどくさいことになりそーって思うわけだ。
だからこそ。
余計に思うわけだよね。そういうの避けたいって。
だから、、、
そんなことになるくらいなら、、、、、自分が我、、、
ストップ!!!!
我慢すな。
そこやで。
そこなんやで。
やめれ。
そのパターンやめれ。
あなたの人生は、あなたのためにあるものなんや。
別に、周囲の正しさに従う必要はない。
好きなことせえ。
行きたいとこ行くんや。
やりたいことやるんや。
居たいところに遠慮なく居るんや。
みんなに好かれようたってそれは無理で不可能だし、そんなことのために生きているわけじゃない。
周囲がなんと言おうと、一回自分を貫いてみる。
そしたら、周囲は変わるから。
無理だとか言っていた人も、あなたが着々と前に進んでいる姿を見て、「意外にやるやん…」とか思う。
でも、そんなのもどうでもいい。別に見返す必要すらない。
もう「最初から分かってた」くらいの感覚というか。
「どうだあ!!!ぐわっはは!!」とかでもいいんだけど、全然いいんだけど、
ぐわっはは!と思うその状態が余計なものをつれてくることもあるから、「こうだよ」っていう見本になってあげればいい。
みんなできると思えないし、そんなに自分の気持ちを大事にしていいなんて知らないだけだから。
ということで、自分のやりたいことをやりましょう。
そうやって自分の気持ちを大事にし始めると、周囲からも大事にされ始めますよ。
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