昨日は近所にある串カツ屋で晩飯を食っていたのですが、そこで働いているのがかなり若い子たちでした。高校生ですね。
自分のプログラムに来てくれる人も若者が多いわけですが、最近は執筆が多くて、あまり会っておらず、
久しぶりに「高校生」という存在を目にしました。
で、彼彼女らが働く姿を見ていたときに、
そこに可能性と価値しか感じていない自分がそこにはいました。
一生懸命声出して、料理運んだりしているわけですけど、「マジ一生懸命じゃん!」とか思っていました。笑
そんなことで感動している自分がいて、それは結局は自分の内側の変化なのですが、
もはや、「高校生」という存在を見たときに、可能性と価値しか感じられないようになっていました。
やりたいことはやらせてやりたいし、チャレンジさせてやりたいし、失敗しても全然OK!という感じ。
お父さんお母さんは彼彼女らのことを愛しているわけです。
仕事を頑張れるのも、つらいことがあっても踏ん張っているのも、彼彼女らがいるからこそ、だったりする。
そんな愛されている子たちを「価値がない」とか「卑屈にする」とか、マジで意味が分からない。
意味が、分からない。
意味が。
分からない。
誰か教えてくれ。
その意味を。
教えられるものならね!
話を戻して、それって別に高校生だけじゃなく、みんなそう。
人それぞれみんなが価値のある存在なわけです。これ綺麗事じゃなくて、事実だから。事実でしかないから。
その大前提を忘れちゃいけない。
もちろん、何かを達成するためにスキルを習得する必要があって、そこでの訓練として厳しく接することがあってもいいと思います。
ただ、それも大前提がある人に対してだったらいいけど、それがない人にやっちゃうときつい。
で、その大前提がない人は想像以上に多いんです。
以前に、自分でビジネスをしようという人に、私がやってきたことの中からちょっとしたアドバイスをしたことがあったのですが、
それだけで「自分はダメなんだ」とその方が受け取ってしまう、ということがありました。
結局それは、自分が自分を価値がないと思っているから、他人の言動をそう「受け取ってしまう」ということ。
「受け取り方」は、自分が自分をどう思っているかで決まります。
他人と会話する前に決まっているんですよね。傷つくかどうかは。
『傷つくかどうかは「他人と会話する前」に決まる』
サンマーク出版さん、次回の本はこれでどうでしょうか?笑
はい。
また、自分に価値があると思っていないと、自分と向き合うことができないから、
「強がる」とか「自分の正しさを守る」とかっていう「防衛反応」が強くなります。
防衛しないといけないほど、心が折れやすいからです。
ただ、防衛しないといけないということは、向き合いきれないということです。
すると、みすみす自分が成長するチャンスを逃してしまったり、
気づくべきところに気づけなくて、同じところをぐるぐるすることになります。
大体、変わりたくても変われない人というのは、「防衛したい何か」があって、
なぜ防衛したい何かが存在しているかというと、
「それを防衛しなければ自分には価値がない」という思い込みにもとづく『怖れ』があるからです。
思い込みにもとづく『怖れ』です。
だから、「向き合う」ということと「価値」というのは、かなり密接に関わるものであり、
常に「自己防衛」という壁が、向き合うことには存在しているわけです。
で、この「防衛」のラインがあまりにも早い段階で働いていると、
他人のせいにしたり、他人との争いが多くなったり、色々と問題とされることがたくさん起こります。
それらは全て「防衛を取り下げよ」というサインであり、そう考えればその問題も「愛」なわけですが、
そこにいつ気づけるかで、人間としての意識レベルが高まるかどうかが決まってくるわけですね。
これから始める「いけじゅんジム」では、当然、「向き合う」ということもやっていきます。
スキル云々よりも、自分と向き合う中で自分に気づき、自分を知ることの方が大事なことです。
向き合うからこそ、殻を破り、どんどん成長していけるわけですから。
最終的に話がかなり逸れてしまいましたが、今回はこのへんで。
<いけじゅんBAR、オープンしました>
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