下手なままでも、やってみよう。不器用な男が辿り着いた、不器用でも自信を持って生きる方法

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今日は、不器用な人に向けて、書いていきたい。

下手でもいい、失敗してもいい、恥をかいてもいい。

それでも好きなことをやっていこう。

そんなことを、書いていく。

下手すぎるアルバイト


 

昔っから、不器用だった。

例えば、アルバイト。

まあ、アルバイトなんてみんなやっているわけで、できないなんてことはないはずなのだが、これが本当に苦労した。

人生の初バイトは浪人時代。とんかつ屋だったのだけど、何度そこで怒鳴られたかわからない。(この話は「無愛想」の新刊にも書いた)

当時はまだまだ自分を責めていたし、卑屈で、自信もなかったから、もう本当にバイトに行くのが嫌になっていた。

しかも、こちとら受験勉強をしなきゃならんわけだ。

そんな、怒鳴られてまでバイトをしてられんわけ。

ただ、怒鳴られるのにも怒鳴られるだけの理由があって、

「とにかく仕事ができない」

不器用な人っていうのは面白いもんで、不器用な分野については思考が止まってしまう。

ちーん。

という、そういう感じ。

で、忘れてはいけないことを忘れる。

「あれ、やった?」
「いえ、やってません」
「やってって言ったよね?5回くらい」
「はい」
「なんでできないの」
「自分でもわかりません」
「自分のことだよね」
「はい」
「なんでわからないの」
「なんでわからないのかもわかりません」

という状態なわけだ。

ふむ。自分が数学を勉強していたときと同じ状況でもある。数学が苦手な人っていうのもこんな感じ。何言われても、何がどうなっているか理解できない。

「あのさ、もう一回説明して?」
「どこから?」
「最初から」

で、「はあ?」と言われるパターンを何度も繰り返してきたのがイケジュンだ。

できる自分でいたかったから、できる自分になれなかった


 

ただ、そのバイトはある程度続けて、文句を言われないくらいのレベルにはなった。その理由は、新刊に書いたので楽しみにしていてほしい。

ただ、本に書いていないところで言うと、そのとき続けられていた理由としては、それが浪人時代だったからということが大きい。

というのも、受験の失敗が「プロセスをすっ飛ばす癖が自分にはある」ところに起因していると自覚できていて、

それは受験だけなくバイトにも出ていて、「いきなり最初から先輩のように仕事ができる自分でいたい」という思いがあった。

例えば、普通の人よりも不器用なのだから面倒でも「これはこれで良いですよね?」と念には念を入れて確認すればいい。

でも、そういうのをダサいと思っちゃう安っぽいプライドがある。

その安っぽいプライドを持っているということが一番ダサいということがまだ分かっていなかったから、自分の本当の姿と向き合わず、カッコつけてしまう。

「できる自分」でいたいわけ。

全然できないのに。

結果、余計に仕事を覚えるのが遅くなる。

バイトをしている間に、そんな自分がいるということが見えてきた。

不器用、上等!


 

そこから先輩によく質問して、よく聞くようになった。

ただ、当時はまだ人に対するジャッジも強くて、先輩が全然尊敬できない先輩風吹かせまくりの人で、話をするのも嫌だった。

でも、そこも抑えて、自分の成長にフォーカス。

うざがられても、聞く。何度も確認したことでも、聞く。

「お前さあ、何でできないわけ?(俺様が教えてやっているのに、と聞こえる」

と言われても、聞く。

その人にバカにされるかどうかは、どうでもいいこと。

こっちは自分という人間と向き合ってんだから。

自分を受け入れるってことをやり始めたんだから、それは尊いことなんだから、その人にどうこう言われるとかってのはどうでもいい。

「俺は、不器用だ」

そのことを自覚して受け入れたときから、仕事はできるようになっていって、結果、店長から怒鳴られることも減っていった。

不器用な人間にとって重要なことは、自分の不器用さを受け入れること。

つまり、人より時間がかかるってことを受け入れるということでもある。

不器用な人っていうのは失敗もすれば、下手を打つこともあるし、恥をかくこともある、バカにされることもある。

何でこの人にバカにされなくちゃならないんだ、という人にバカにされることだってある。

よく「できない自分を受け入れよう」「無条件に自分に価値を感じよう」ということを言うけれど、

それは自分が不器用だったからこそ出てきた自分なりの答えだったのかもしれない。

ポッキーにはなるな!


 

できる自分にだけ支えられた自信っていうのは、簡単に折れてしまう。ポキっと。ポッキーみたいに。

よし。できる自分にだけ支えられた自信のことは、これから「ポッキー型自信」と呼ぼう。

大学時代までエリートで社会に出たらポッキーになっちゃう人がいるけれど、

多分それはこれまで「できる自分にだけ自信を持つ」という、浅い自信の持ち方でそこまで生きていられたからだ。

逆に、できない自分まで受け入れられれば、強い。弱さを受け入れれば、そんなに簡単には折れなくなる。

不器用な人っていうのは、そういう自信の持ち方ができたりする。

しかも、不器用な人っていうのは、教え上手にもなれたりする。

元々できる人っていうのは元々できるから、できない人がどこでつまづくのが全然理解できない。

だから、責めやすい。

「は?何でできないの?」

これだ。人生の中で、何度言われてきたことか。

でも、元々不器用でそこを乗り越えた人は、どこでつまづくか、どこが説明不足か、どういう説明の仕方をすればわかりやすいかが手に取るように分かる。

乗り越えてきたものの多さと深さがそのまま、説明の分かりやすさにつながっていくわけだ。

不器用さだって、武器なんだ


 

だから、不器用っていうのも悪くない。

どっちが良い悪いって話じゃない。自分が不器用なら、その不器用さも武器だという捉え方をすればいい。

だからこそできることは何だ?

という質問を自分にすること。与えられたカードを生かすか殺すかは自分次第。

不器用な人は失敗もするし、下手なままでやっていく時期が長いかもしれない。

でも、それでいい。

その姿も誰かに勇気を与えるし、そうやって一つ一つやっていくことで、これから誰かに「伝える」ことだってできるようになる。

だから、下手なままやっていこう。

失敗しながら、恥をかきながらやっていこう。

その姿が、カッコイイんだから。

 

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2件のコメント

  1. 池田さん、はじめまして!
    本日のブログ読ませていただきました!
    僕も不器用な自分を許せなくて、最初から完璧でいたいと思いすぎるところがあってすごく共感しました!
    「不器用を受け入れる」ことで、成長していくことができると思います。
    カッコつけて成長しない人生よりもカッコ悪くても日々成長する人生にします!
    ありがとうございました!

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