人にはそれぞれ願望というものがある。
例えば、イケジュンの場合は、昔から「ハードボイルド作家」になぜか惹かれるものを感じていた。例えば、北方謙三とか大沢在昌とか。
ただ、ケンゾーに関しては文章も好きなんだけど、アリーに関してはあまり文章は読まない。読もうとしたこともあるんだけど、あまり入ってこない。
じゃあ、自分は何に惹かれているんだろう?
そんなことを考えた時期がある。
男らしさか?作家という職業か?一匹狼な感じか?
うん。そんな感じはする。それは確かにあるだろう。
でも、それ以上の何かがある気がする…
そんなことをずっと感じていたんだけど、なんとなく見えてきた。
一言で言うなら、
「在り方の達成」
なんだと。
そういうことなんだ。
在り方を、達成する。
なんじゃそれは。
と感じると思う。
自分は昔いじめられたことがあり、それが思いの外ダメージがでかくて、自分を下げたり気持ちを言えなかったりビクビクするような姿勢で生きるようになった。
ただ、そういった「在り方」で生きる自分が嫌で、実際に感情的にもネガティブだったし人生は楽しくなかった。
ただ、ハードボイルドの主人公たちを見ると、みんな堂々としている。自分を責めてなどいないし、自己否定もしていない。
己の願望に忠実だし、自分独自の生き方を持っている。
ああ、そうか。
自分はそういう「在り方」に惹かれたんだと。
別に闘いどうこうではなくて、その堂々とした姿。人間本来の自己を信頼している姿に惹かれているのだとわかった。
だから、イケジュンの心底の願望というのはもしかしたら、
いつでも堂々と(人本来の姿で)生きていたい(在りたい)
ということなのかもしれない。
別の言い方をすれば、神意識だったりセルフイメージが高いだったりエフィカシーが高いだったり色々と言い方はあるかもしれないけど、
まあ、そういう感じのことだ。
そう「在る」ことが大事で、そう「在り」ながら具体的にこの現実を生きるということ。
それは、物質的成功を求めないとか、結果はどうでもいいとか、そういうことじゃない。
そうなった瞬間に、現実的な生活がおぼつかなくなるはずだ。
そういうのは好まないし、違うと思う。
どこか自分をごまかしていて、ごまかすため、自己正当化のために知識を利用しているんじゃないか。
そうじゃなくて、
現実的、物質的なものを求めることもありつつ、手に入らないときも、どんなときも無条件で己を信頼する在り方で生きていきたい。
そんな自分を感じていたい、ということなのだと思う。
在り方に関して言えば、人それぞれ好みがあるはず。
自分は「尊厳」だったり「堂々としている」「自己信頼」「自己尊重」だったりというところに惹かれるけど、
人によっては「明るい」とか「ユーモアがある」とか「愛がある」とか、そういうところに格別の好みを抱く人もいると思う。
そういう人は、今この瞬間からそう「在れば」いい。
そうしたら、現実の方が後からついてくる。
イケジュンの場合も、在りたい姿を先取りして、できる限り今その自分を体感するようになってから、状態が上がってから、現実は動くようになった。
今そう在ることが目的で、そう在ることで、その在り方に見合う現実がやってくる。
そういうことなんじゃないかと、思うんだ。
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