「正しさ」ではなく「好み」という基準で生きる

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基本的に、人と違うことを怖れる必要はない。

いや、怖れてもいいのだけど、その怖れから選択する必要はないって感じかな?

でも最終的にはその怖れも減っていけばいいよね。

例えば自分の場合、

京大を中退

してる。

これって、一般的に見たら、「ダメ」な選択かもしれないし、

実際自分がダメ人間だからそういう選択になった部分もある。笑

もう、好きなことしかしたくないという、超わがままな選択をせざるを得ないくらい、好きなことしかできなくなっちゃったわけ。

そう。

言い方を変えれば、ちゃんとできなかったわけで、「ちゃんとできなかったんだろう!」と言われたら「はい、そうでございます」としか言えない。笑

でも、好きなことに関してはとことん向き合えるから、普通ではない代わりに、普通じゃないところに時間とエネルギーと労力は使ってきたのかな、と思う。

大学にいた人の中で中退している人なんかほとんどいなくて、いつも一匹狼的キャラだったし、共感されることもほとんどなし。

昼ごはんとか、いつも一人で食べてた。笑

都合のいいベンチを見つけて、本を開いて、モグモグと。

でも別に卑屈になってたわけじゃなくて、

「本が読めて最高」

と思ってたり。

強がりっぽく聞こえるかもだけど。

まあ、そう思われてもいいかな。

自分がしたいことをしていったら、どんどん、普通の道からは外れちゃったわけで、なんか一人になっていったわけだけど、

「しゃーねえなあ」

と思って、道を変更することなくそのまんま進むことに。

その当時は、人とのつながりも減った。

だって、全然合わないわけだから。

考えていることも、目指していることも。

だから「一人だなー」という感覚は強くあって、もしもその感覚に堪えられないと、自分のしたいことをするよりも「みんなに合わせる」という選択になりうることも、なんとなく分かった。

でも、振り返って思うのだけど、

一時的に孤独になる

って結構重要な気がしていて、その時期を経ると何が起こるかというと、

気づいたら最高の仲間達に出会ってる

ってことが起こるんだな。

一時的に孤独になるのは、

今まで自分に合わない場所、本来の自分を表現できない場所にいて、そこから離れる選択をしたから。

例えば、

あなたが綱渡りをするとして。

スタート地点にはたくさんの人がいる。

あなたは柱にしがみついている。

しがみついている限りは前に進めない。

でも、みんながいる。

そこは本当は自分がいたい場所ではなかったとしても、みんながいる。

ただ、その柱から手を離して綱渡りを始めると、一人になる。

渡るときは、一人。

でも、渡って行った先にはまた柱があって、そこには新しい仲間がいる。

そんな感じ。

手を離さないと、次へは行けない。

手を離して一人になるのが怖いから、自分が本当にしたいことができなかったり、自分が本当は行きたい場所に行けなかったりするもの。

自分が本当は合わないと思っている価値観と無理に一緒にいようとしたり。

「みんながやってる」ことから離れたくなくて、自分の気持ちを押し殺したり。

自分は、京大を中退しているし、

大学時代から自分で仕事を始めて、そこからもうブロガー、コーチ、作家としての仕事をスタート。

全然普通じゃない。

でも、普通じゃなくても、ちゃんとしなくても生きてこれたし、結構楽しい人生を生きてこれて、

こうやって「ちゃんとしていない大人」がいてもいいんじゃないかと思ってる。

あなたがもしもちゃんとできないことで悩んだら、思い出して欲しい。

イケジュンだって全然ちゃんとできていない

ってことを。笑

就職できないからって命を絶つ必要なんかないし、今は違った生き方もできるから。

自分は、ちゃんとしないでも楽しく生きられる、ちゃんとしないでも好きなことして生きられる、むしろ、ちゃんとしない方が充実した人生を生きられるのではってことを実験中。

自分の人生を賭けて。

ちゃんとしなくてもいい、と思えたとき、色んなことが「義務」ではなく「選択」になる。

もちろん、ちゃんとしたっていいわけで、ただちゃんとしなくてもいいと思えていることで、

ちゃんとすることが「選択」になる。

ちゃんとしていない人がいることで、ちゃんとしたい人も気持ちよくちゃんとできるんじゃないかと思うし、

ちゃんとできなくても、自分を責めることはなくなる。

選択には自分の意志が宿ることになって、

義務感でするよりも気持ちよくちゃんとできる。

「好み」という次元で生きることができる。

何かを選ぶときも、正しいとか間違っているということではなく、

「あ、これが好みなんです〜」

と言える。

それってすごく、大事なことなんじゃないかと思っていて、

個人的にはあまりちゃんとしないことが好みなので、これからも、あまりちゃんとしないで生きていきたいと思います。笑

ただ、もしも気分的にちゃんとしたくなったときは、ちゃんとするかも。

全てはそのときの「好み」で。

 

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