一人で居酒屋に来ていた。
たまに、ぶらりと出歩き、入ったことのない店に入って飯を食う。そこで思わぬ旨い店を見つけるのが、一つの楽しみだった。
「行けやー!鳥谷!頼むで!」
今日入った居酒屋の店長は、東京であるにも関わらず、ここは大阪だろうか?と疑ってしまうくらいバリバリの関西人が店長の居酒屋だった。
その店長は、店員たちからはなぜか「大将」と呼ばれていた。
大将は生粋の阪神タイガースファンらしく、料理を作りながらもチラチラとテレビを見て「お!」「ああ…」などと小さく声を上げている。
料理に集中していないのではないかと思って心配だったが、出てくる料理は意外なほど旨い。
周囲にいる誰も大将の様子に文句を言わないのは、出てくる料理が文句のつけようもないほど旨いからだろう。
大将の「関西感」がここ東京で一切消えていないことが驚きだが、それもこの店独特の雰囲気になっていて、悪くはなかった。
ここに来る常連客たちも、関西から東京に出てきた人間が多いようだ。大将に「故郷」を見ているのかもしれない。
しかし、さっきから気になっていたのだが、隣に座っている男がどこかピリピリした雰囲気を出していた。若い。まだ高校生くらいだろうか。
父親と二人で来たようだが、おそらく父親に無理やり連れて来られたのだろう。来たときからあまり楽しそうではなかった。
隣にいる父親はすでにかなり飲んでいるらしく、酔っぱらってしまっていた。
そう思っていると、「高校生」が急に声を上げた。
「すいません!テレビ消してもらえませんか!?」
「高校生」の声には、攻撃的な空気が感じられた。
大将が、こちらにやって来る。
「なんでや?」
「野球とか、面白くないんですよ!」
「アホか。野球ほどおもろいスポーツはないで」
「野球なんかより他のスポーツの方が面白いです!」
「そういう割にはお前、坊主頭で、色も黒くて。丸っきり「高校球児」にしか見えへんけどな」
「…」
大将の表情が、どこか変わってきた。
「何かあったんか?」
「…」
「言うてみいや」
「…」
「まあ、言いたくないんやったら、言わんでもええ。
ワシもお前くらいの年の頃は、ひたすら白い球追いかけとった。甲子園目指してな。今、ちょうど昼間は甲子園の中継しとるやろ。あれ見ると、色々思い出すわ」
大将の声はどこか優しい。
「俺なんて、野球やってちゃいけないんですよ!」
「…。お前、ピッチャーか?」
「…そうですけど」
「はは。そうかそうか。せやろなあ!はっは!」
「何笑ってるんですか!」
「おっと、すまんすまん。いや、昔、同じようなことを言うとる奴がおってな。ワシのチームのピッチャーなんやけど。ホンマ、同じようなこと言うとったわ。
もしかして、こっぴどく打たれてもうたんか?」
「…」
「図星やな。悔しくて、つらくて、たまらんやろ」
「…」
「何より一番悔しいのは、チームのみんなを勝たせられへんかったことや。自分のせいでチームのメンバーみんな負かしてしもたと思って、自分のこと責めてんのやろ」
高校生が、下を向く。
「ワシのチームのピッチャーもな、同じような感じやった」
大将は、何かを思い出すような顔をしている。
「俺、もう野球辞めようと思っているんです。だって、俺がいたら迷惑だし」
「…」
「俺に野球をやる資格なんてないんですよ…」
「誰が言ってんのや、それを?」
「え?」
「誰がそんなこと言ったんや?」
「誰がって…俺自身がそう思っているんです。俺自身がそう言っているんですよ」
「違うな」
「?」
「お前が言っとるんやない。お前の頭の中で勝手に作り上げた他人が、そう言っとるんや。
お前は他人にそう言われてるような気がして、それを自分の声やと勘違いしとるだけや。
お前の中におるお前は、絶対にお前をあきらめへん。
自分をあきらめさせるのはな、頭の中で勝手に作り上げた、他人の声なんや 」
「…」
「ワシのチームのピッチャーがお前と同じことを言うたとき、こいつは一体何を言っとるんや、と思ったわ。
そんなこと言われたらたまらんでホンマ。お前以外におらんねんと。お前とやりたいんやと。
他の連中は、もっと俺が上手くならなって思っとったんや。みんな同じや。
上手くいくときも、上手くいかんときもある。それを支え合うのがチームやろが。
もっとチームのメンバー信頼したらいいんや。お前だけで野球やっとるわけやないんやで」
高校生の顔は、上がらない。
「ホンマに野球嫌いになったんやったらいいけどな、
ホンマはまだ野球やりたいんやろ。
まだ続けたいんやろ。
お前の右腕は、お前のことあきらめてへんで。
投げたいって言ってるで。
苦しいときもつらいときも、お前の右腕は、お前のことあきらめてへん。
まだ投げれる、投げたい、俺ならやれるって、言ってる。
だからお前、今日まで投げ続けてきたんやろが。
違うか?
さっきも言ったけどな、お前の中におるお前は、片時もお前のことをあきらめてへん。
投げようぜって、野球やろうぜ、ってお前のこと誘ってるんや。
だからお前は今日まで野球続けてきた。そうやろ?
そんな健気にお前のことを見守って、応援してくれるお前自身のことを、もっと愛したれや。
そいつが言っていることにもっと、耳傾けたれや 」
高校生はその言葉を聞いている間も、ずっと顔を伏せたままだった。
しばらく沈黙が続いた。
大将は他の客に呼ばれて、離れて行く。
高校生は顔を伏せたまま、父さん行こう、と言って、立ち上がった。
酔っぱらった父親の財布から金を出し、何も言わずに勘定を済ませる。
大将も、高校生にそれ以上言葉をかけようとはしない。
高校生が父親を介抱しながら店を出る。
店を出る直前、
高校生の「ごちそうさまでした」ではなく「ありがとうございました!」という言葉が店中に聞こえた。
野球部らしい、いい声だった。
「大将」
私は、大将に声をかけた。
「何でしょ?あ、さっきはすんまへんね。お食事中のところ、隣で色々喋ってしまいました」
「いえ。大将、ちなみになんですが、どこを守ってらしたのですか?」
「ワシですか?ワシは、キャッチャーやってました」
「やはり、そうですか」
「彼には、頑張ってほしいですねえ。ホンマに。
おっと、追加のドリンク大丈夫ですか?」
「あ、じゃ、ビールを」
「へい。少しお待ちを」
たまにぶらりと知らない店に入る。そういうことをやっていて良かったなと感じた日だったが、ただ、しばらくはそれもやめて、この店に通ってみるのも悪くない気がした。
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