いつも思っていたことがあります。
それは、何かを学んだとして、その学んだ人が現実世界で変化しているかどうかが重要だということ。
逆に、現実世界に変化がない場合、周囲の評価も大して変わらない場合。
その人はまだ自分と向き合えていないし、まだ学びを生かせているとは言えないと思っていて。
世の中でよく見られるのがそういう現象で、私自身はそこに大きな疑問を持っています。
学んでいるのに「カッコ良くない」というのはおかしい、と。
それは結局、新刊に書いた「自分から逃避するために学んでいる」状態で、その学びに対するスタンスは私が考えているものとは全く違うもの。
カッコ良くないというのは、見た目どうこうもそうだけど、内面のカッコ良さ。
カッコ良さというと語弊があって誤解が生まれそうなのだけど、ええと、「一目置かれる」とかの方がいいですかね。
人から「一目置かれる」存在になるということであり、
「あの人のようになりたい」と他人から思われるような内面の何かを持つということ。
学んでいるのにその状態ではないということは、結局、本当の意味で学べていない。
もしも人が本当に自分と向き合い、様々な葛藤も乗り越えていったのなら、自然に周囲が自分を見る目も変わるものです。
変えようとして変わるのではなく、自然に変わっていってしまう。ここ重要。
別に評価を得たいと思っているわけではないのに、なぜか得てしまう。
無理をしなくても自然に評価されるようになる。
変化している、評価されるとはどういうことかと言えば、「ハッとされる存在になる」ということ。
ハッとされる存在になるというのは、例えば集団の中にいるとして、その人の存在が際立つというか、その人に存在感が生まれている状態。
それは恋愛で言えば「モテる」という状態のことを言うのだろうし、普段の生活の中でも自分に自信を感じている状態。
このブログを読んでくださっているあなたが、あなたのフィールドで、あなたの現場で、自然に「存在感」を増し、評価されるようにもなること。
それが重要だと思っていて、それを目的にしているわけではないけれど、
自然にそうなってしまう
という風になればいい、と思っています。
理想で言えば、今回の新刊について言うと、
あなたの周囲の人が、「最近あなた変わったね、どうしたの?」と聞いてきて、「この本を読んだのさ」と言って、『毎日15分自分と向き合えば、「欲しい結果」がついてくる』をバンと出す、
みたいなのが実現できたら、本当に最高です。笑
そして、あなたの変化を見て、自然にその人が本を読みたくなっている、というのがベスト。
逆に、例えば何でもいいですが、何かを勧めるとして、必死で説得する必要があるということは自分の変化が小さい証拠。
大きく変化していて魅力的になっていれば、周囲の人は「この人は何から学んだんだろう」と気になるものです。
知識レベルで変わるのではなく、在り方レベル、存在レベルで変わっていくということが大事。
自分自身が在り方レベルで変わっていくからこそ、周囲の人もあなたの話を聞くようになりあなたに関心を持つようになる。
大事なのはいつだって自分自身であり、自分が変わればこそ、周囲も変わっていく。
そういうものなのだと思います。
では、今日はこのへんで。
メルマガも好評なので、良ければ。