失敗を怖れて何もしない。批判を怖れて何も言わない。
そうしていれば、傷つくこともないし、何も困ったことは起こらない。
ある見方をすればそれは、「自分を大事にしている」と言えるのかもしれません。
ですが、そこにはこんな裏の思いがあるように思います。
失敗したら、自分には価値がない
批判されたら、自分には価値がない
恥ずかしいことをしたら、自分には価値がない
その裏の思いがあるから、何もしない、何も言わない、ということを選択したわけですよね。
私は、それは本当の意味で自分を大事にしていることにはならない、と思います。
少し話は変わりますが、
受験生時代、バイトしながらほとんど遊ぶことなく勉強に打ち込みました。
朝4時に起きて、勉強しました。
頭の中は勉強のことでいっぱいでした。
テレビも観ず、ゲームもせず、映画も観ませんでした。
すごく、自分を大事にしていたな、と思います。
普通に考えれば、自分にムチを打って、苦しい努力を重ねているように見えるかもしれない。
自分をいじめているように見えるかもしれない。
ですが、自分自身そんな思いは全くなくて、ただ純粋に行きたい大学があったから勉強していただけ。
自分が純粋に求めているものを追いかけていたにすぎない。
そこで「自分には無理だ」と思うことや、「息抜きしようぜ」という声に耳を貸す方が、自分を大事にしていないと思うんですよね。
本当はもっとできると思っている
本当は欲しいモノがある
本当はやりたいことがある
でも、それを本気になって追いかけてはいない。
なぜ?
本当の意味で自分を大事にしていないから、なのではないでしょうか。
自分の声を聞いてやらずに、嘘をついて、追い求めないことを選択する。
そして、
「ふう〜、気楽になった。これこれ、これぞ、自分を愛するってことさ」
本当でしょうか?
もちろん、何もしない、ということがしたいことである人もいるでしょう。
休みが必要な人もいるでしょう。
それが悪いと言っているのではなくて。
大事なことはいつだって「自分の思い」です。
失敗したっていい
批判されたっていい
恥をかいたっていい
たとえ失敗しても、批判されても、恥をかいても、それでも尚、自分は自分の思いに嘘をつかない、自分の思いを聞いてやる。
その心の姿勢になったとき、何がしたいと思うか。どう在りたい、どうなりたいと思うか。
そこで出てくるしたいことや在りたい姿になっていくということが、自分を大事にすることなのではないかと思うんですよね。
私自身、普通の人とは違う人生を歩んでいますが、それは単に、そのときの自分が本当にやりたいと感じることを選択してきたことの結果。
色んなことを「やめて」来ました。
上手くいっていたことも、やめました。
それは、もう自分の心が新しいことに向かっていたから。
情熱を注げないことは、たとえそれがうまくいっていたとしても、やめる。
そのときの状況からすれば、「やめる」ということが、本当の意味で自分を大事にすることだ、と思ったんですよね。
怖かったけど。笑 でも、怖くても、自分に正直になる。
そうやって、今この瞬間、自分が本当にやりたいと思うことに打ち込む日々を送っているという、そんな感じになっています。
人生一回しかないんだから、自分を大事にして生きていかないと損。
だと、思いませんか?
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