最近書いていることに、「ホント、生き方って色々あるよねえ」ということがある。
価値観も色々で、ライフスタイルも色々。
昔みたいにお金を稼ぐことで自分の価値を示すとか、地位や名誉への執着とか、そういうのって特に若い人は関心が薄いように思う。
それよりも、自分なりの心地よいライフスタイルが欲しいっていうか。
で、本当に思うんだけど、人それぞれ自分のしたいようにしたらいいよね。
イケジュンにはイケジュンのライフスタイルがあるけれど、それが全てではないし、人それぞれの経験から生まれる願望っていうのが絶対ある。
それは人とは違うもので、一緒にする必要はないし、
他人の願望を否定する必要もなければバカにする必要もない。
というか、願望に上下はないし、ライフスタイルにも上下はない。
自然の中で暮らしたいなら自然の中に行けばいいし、
都会が好きなら都会にいればいい。
自分はその中間が好きだからその中間にいます。
どっちかっていうと、田舎寄りかな。笑
楽しく、情熱を持って、良い状態で、良い人間関係の中で生きていきたいと思っていて、実際にそんな感じで生きてます。
結局は、自分の心が望む「好み」を人それぞれ追求すればいいって思うんだ。
例えば、堀北真希さんが芸能界を引退して、家族と幸せになることを選んだ。
あれだって「もったいない」とか言う人がいるかもしれないけれど、それが彼女の好みなんだからそれでいいよね。
人が自分がしたいことやどうなりたいかがわからなくなってしまうのは、
人の願望にとやかく言うとかジャッジするとか、何が正しいかの議論とか、
そういうのを見てきたから「自分の願望もジャッジされるんじゃないか?」と思うから。
「これが願望でいいのかなあ?」
「ちっぽけじゃないかなあ?」
「笑われちゃうかなあ?」
って気にしちゃう。
もしも周囲にジャッジが強い人、自分の願望を押し付ける人、「こうじゃなきゃダメ」が強い人がいたら余計そうなる。
でも、そんなの気にしなくていいんだよ。
例えば、仕事柄、心理学系の研究データを見たりするのだけどすごい役に立つよね。研究って。
学者の人ってマジいい仕事してる。
学者がいて良かったなあ、と思うことたくさんある。
学者の人はただただ自分の好きな分野を研究しているわけだよね。ある意味、それだけしかしてない。
でも、それでその人が幸せで生活できているなら、それでいいわけで。
当たり前だけど。
その人は、毎日自分の好きな分野に触れてあれこれ考えているだけでも楽しいわけだから、それでいいじゃんね。
しかも、そのデータや研究が役に立ったりするわけだから。
自分も、こうやって文章を書いているのは楽しいし、それだけでも生きていてよかったと思うし、それだけで生きていていいとも思う。
そこがベースで、そこから色んな願望が生まれるからそこに許可を出して生きている感じで、ベースが生まれてから、
人に対する接し方も変わったかなって思う。
人との関係も、やっぱり自分との関係から始まるし、
自分がいつも自分に何を言っているか、自分をどういう存在だと思っているからという、そういうところで決まってくるんだと思う。
まあ結局、自分の願望を大切にして、自分なりのライフスタイルで、好きに生きればいいよね、という話です。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
本も出版しています。
「無愛想のススメ〜人間関係が劇的に改善する唯一の方法〜(光文社)」 2016年12月発売。発売4日で増刷!
『自分の武器を見つける技術』2015年12月発売。発売1週間で増刷!
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」