例えば、
すごく好きな人がいたとして、
で、なんとなく向こうもそうなんじゃねーかなあとか思えるような状況で、
でもだからこそ踏み出せない、みたいなかなり青春レベルの高い甘酸っぱ状況を想像してみてほしい。
そういうときって、なぜか意地とプライドが邪魔して、素直になれなかったりするよね。
で、なんか相手も踏み出さなくて…結局なんもない、みたいな。
そういうときって、
「何なんだよ!」
みたいな風に感じたりする。
結局、「好きっす」って言えたらそれで終わりなんだけど。
それさえ素直に言えば、終了。
万事解決。
だってお互い好きなんだからね。笑
でも、それが言えない。
プライドが邪魔して。
だって、言ったときに相手が「俺はちげーし!」とか言ってきたら、悔しいでしょ。笑
プライドが傷つくでしょう。
だから、そんな恥をかいたりプライドが傷つく可能性のあることはできないわけだよね。
恥をかいたり悔しい思いをするくらいなら、好きとか言わない、気持ちは伝えない、なんもアクションしないことを選ぶ。
でも、本当は好きなわけよ。
だから、モヤモヤするわけだ。
どうしたらいいんだこの気持ちはよ!みたいな話になってくる。
ここらへんから、
「好き」が「憎い」に変わり始めるんだよね。
なんか憎い!っていうのは、好きだった気持ちがこじれたときに起こるものなんだ。
好きだった気持ちを素直に表現できないまま、自分の中で溜め続けて満たされなくてドロドロになったのが、「憎い」だったりする。
そして、そこまでいったのは、
プライド
の問題だったり。
プライドが高い人ほど苦しむのは、自分がしたいことを素直にできないから。
イケジムの言葉で言えば、
自分の願望に許可を出さずに抵抗している状態
だからなんだよね。
これは恋愛だけじゃなくて、
好きなことができない
やりたいことができない
のも全部、自分で願望に抵抗しているから。
つまりは、
素直じゃない
プライドが邪魔している
からなんだ。
失敗したくない
恥をかきたくない
悔しい思いをしたくない
そんな自分を人にみられたくない、感じたくない
それだったら、素直な気持ちをないことにしてやる!
という方向に向かってしまう。
けど、あるんだよ。
だから、こじれて、ドロドロになるしかなくなる。
本当は、素直に純粋に、ただ「やってみたい」「好き」「こういうのがいい」という思いに向かうだけでいい。
自分の願望に素直に許可を出すだけで、人生は楽しくなる。
いつも言っているけれど、
大事なのは、自分が本当にやりたいと思っていることをやらせてあげること。
そして、そこに必要なのは、素直に自分の願望を認めること。
それを素直に認められたなら、言えたなら、やれたなら、たとえ報われなかったとしても、心の中にドロドロに溜まることはなく、次に向かえる。
悩まない人は、素直。
自分のプライドと向き合い、どこかで折り合いをつけている。
そのプライドを握り締め続け、自分を守り続けることで、逆に本当の意味で自分を守ることはできなくなる。
無防備な方が、実は、自分を守れているのだと思う。
無防備であるということは、自分の本音を守っているということだから。
守るべきは、プライドか。
それとも、自分の素直な思いか。
何を守るのか?の選択で、人生が楽しくなるかどうかは決まるのかもしれない。
より深い内容は、メルマガにて書いてます。
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