昔、意味もないことに勤しんでいた時期があります。
ホントに意味がなくて、今となっては笑ってしまいます。
意味のないこととは、自分を好きでもない人に好かれようとすること。
当時は自己肯定感も低かったので仕方がないのですが、
自分が自分に自信を持てないときというのは、自分を好きでもない人に好きになってほしい、なんてことを考えてしまう。
自分を評価しない人のことが気になる。
自分を評価しない人なんて無視していればいいし、自分を好きでない人も無視していればいいのですが、
そういう人の存在が気になり、そういう人に認められたときに、自分の価値を感じる。
そもそも自分に価値を感じられない人は、その欲求が強くなります。
しかし、実際には、好かれることも、認められることも難しい。
だって、そういう人はそもそもこちらのことが嫌いなのですから。
嫌いを好きに変えるって難しいし、それは自分にコントロールできることではない。
そして、自分を好きでもない、認めてもいない人を好きにさせよう、そういう人から認められようという不毛な努力が始まる。
その努力をしているときって、毎日キツい。
心身共に疲弊する。
だって、上手くいかないから。
そして、ネガティブな感情に振り回され、自分を見失う……
無駄な時間、無駄なエネルギーを使い、振り返ってみれば、何ら人生は前に進んでいない。
さらに、自分を好きでいてくれる人を大事にできない。
「ある」ものよりも「ない」ものにひたすら目が向く。
「ない」を「ある」に変えたときに、自分の価値を感じられる。
いつも先に「ない」ものを探し、それを「ある」に変えることこそが、生きることだということになる。
ないをあるに変え終えたら、またないを探してきて、それをあるに変えようとする。
そういうとき、目の前の人は大事にできない。
なぜか?
目の前の人は、「ある」だから。
すでに、あるから。
ないをあるに変えることに価値を感じているわけだから、すでに「ある」ものに価値は感じられない。
結果、いつも欠乏感に追われながら生きることになります。
ただ、それを一概に「悪い」と言いたいわけではありません。
その生き方もOKだし、全ては自分の選択。
ただそういうことだというだけのことで。
それが良いとか悪いとかではない。
私の場合は、自分を好きでもない人に好かれようとしている自分に嫌気が差し、
そんな毎日を送ることも面倒くさくなって、もうそういうことはやめました。
やめられるよう、自分と向き合いました。
自分の中にこびりついた固定観念と向き合い、自分の価値に気づくこと。
そうすることで、完全に、人生が変わってしまいました。
また、
そうしたときに、なぜか、人から好かれることも増えました。
人生っていうのは、面白いもんです。
必要だと思っていたものが必要ではないことに気づいたときに、自然な形でそれがやってくる。
逆に、様々な固定観念に縛られ、勘違いしたまま生きていると、苦しいことも多いものです。