「罪悪感」や「遠慮」で自分の力が発揮できていない!?


生きる上で、かなり邪魔なものがある。

それは、「罪悪感」。

これかなりやっかいで、罪悪感があるせいで、色々できなくなってしまうことも多い。

例えば、ビジネスがしたいとする。

でも、お金をもらうことに罪悪感があるとして、

すると、お金はもらえない。

すごく抵抗を感じて、もらえたとしても、低価格。

必死で価格を抑えて、何とかビジネスができるという感じになる。

でも、それは我慢しているし、自己犠牲的。

だから、苦しい。

昔の私も同じようなことで苦しんでいた。

何か遠慮していたし、自分が運営するものを自分で価値があると思うことに抵抗があった。

何か調子に乗っているというか、もう少しおとなしく、謙虚にしとけ!と自分でツッコミを入れていた。

でも、自分自身や、自分自身の仕事に価値を見出したい、という気持ちはいつも自分の中にあった。

そう発言することを、自分に許可したい。

もしかしたらあなたにも、同じような思いがあるかもしれない。

自分や、自分が創ったものが素晴らしいと思えない。

思えていても、遠慮して、我慢してしまう。

それは一体、なぜなのか?

これは私自身がそうだったのだけど、

嫌われたくない、と思ってしまうことが一番の原因だと言える。

謙遜していれば、我慢していれば、遠慮していれば、叩かれない。

自分を抑えていれば、気に入られる。

自分を抑えている人は、いつも自分を抑えているので、周囲の人にも自分を抑えておいて欲しいと感じるものだ。

人を叩く人や、責める人や、批判する人。

そういう人はいつも、自分を犠牲にしている。

自分を犠牲にするだけならいいのだが、他人にまで自分を犠牲にすることを強要する。

それを薄々と感じるがゆえに、自分を抑えつけてしまうのだ。

もう、いらない遠慮はやめよう。

もう、自分には価値があるということを、認めよう。

誰かが「お前には価値がない!」と言っても、スルーしよう。

叩かれたって、構わない。

周囲が自分に何を言おうが、周囲がどう思おうが、

自分は自分を最高だと思っていい。

自分は自分を支持する。

自分は自分を責めずに、愛する。

そうすることにOKを出す。

それが大事だ。

自分が遠慮しているから他人にも遠慮を強要する人の声に、耳を傾ける必要はない。

自分の価値を信じられない人。

それは、相手の問題であって、あなたの問題ではありません。

相手の問題は、相手が解決するしかありません。

だから、

あなたはあなたの好きに生きていればOKだ。