人はそれぞれ違う。一昨日あたりから「ワクワク」ってことについて書いてるけど、そのことを考えるときに大事なのは、意外に「他人」の存在だったりする。
というのも、人には人の価値観があって、自分が好きなこと、大事にしていること、望むライフスタイル。
そういうものは全く違うから、自分がこれが良い!と思ったことも、周りからすれば「ないわ~」と思われることかもしれない。
「ないわ~」と思われることを自分が好きで、実際に自分がその好きなことを大事にしていたとしても、「ないわ~」って言われるわけだ。
なかなか、うざい。笑
もしかしたら、みじめだねみたいな扱いを受けるかもしれない。
特に、自分の好みが世間とは違う、世の中一般的に良しとされているものではない場合、自分は好きなことをしているのに、望むように生きているのに、なのにそこに罪悪感を抱いたり、これでいいのかという思いを抱えてしまうことがある。
これがなかなかつらい。どっちかっていうと、イケジュンもそっちタイプ。自分の望むことが、人とはちとズレてる。
進路に関してもそうで、元々は法学部だったから、普通に行けば法曹関係の仕事についていたはずだ。だけど、今後一生法律や、他人の事件に関わりながら生きていきたいとはどうしても思えなかった。
正直、そこに「思い」もなかったんだよね。
特に法曹関係の仕事というのはお金のためにやるものじゃないと思う。笑。
実際、世界的にもデータとして、弁護士さんは幸福度が低いというデータもある。事件のことをずっと思考しなきゃいけないわけだから、そうなるのもわかる。
だから、相当な思いがそこにないと仕事にするのはきつい。
で、イケジュンにはその思いがない。
あ、これ無理なやつやん。と気づくのにそんなに時間はかからなかった。笑。
結局、選んだ道は、法学部の人が行くような道ではなかったし、周りに理解されることはなかった。
そういう孤独の道というのか、友達と一緒という安心感は全くない状況に自分を置くことになった。だからこそ、自分のワクワクする気持ちはどこにあるんだろうということに向き合わざるをえなかったんだよね。
まあそのおかげで、もしかしたら人よりも自分の気持ちには敏感でいられている部分があるのかもしれない。
話を戻して、自分が好きなこと、ワクワクすること。そういうものは他人に理解されなくてもいい。というか、理解されないくらいのものがワクワクであることは多い。
もちろん、結果的に理解されるものであることもあるし、それはそれで楽なんだけど、そうじゃなかったとしても構わないということ。
他人に低く評価されることがわかるから、自分でも低く評価しようとしてしまう。好きなのに、好きじゃないことにしてしまう。そういうことってある。
例えば、好きな「人」に関しても、無意識に「親が認めてくれるか?」で考えてしまうことってあるのかもしれない。
うちはかなり自由な家で、親が反対するとかとやかく言うとかはなくて、例えば親が結婚に対して相手次第で反対するなんていうことも考えられない。
てか、そこに口出されたら「うるさいわ」で終わり。
てか、普通にビビる。
え?何で口出す?ってなるまじで( ̄∀ ̄)笑。
そこに恐怖はなくて、うるさいって言えばいいだけって当たり前に思えてる。
「決めたから。以上」という感じだ。
確認じゃなくて報告になると思う。事後報告。
とはいえ、親が認めてくれるか?と考えてしまうケースってあるもので、そうなると自分のワクワクからは外れるわけだ。
自分のハートじゃなくて、親の意識が頭に入ってくる。
そうやって、好きな「人」に関しても、自分の思いに純粋になるというのは意外に難しいケースがある。
だから、冒頭で書いたことに戻るけど、自分のワクワクを考えたときに意外にカギを握っているのは、「他人」だったりする。
他人に認められなきゃいけない。
他人が高く評価するようなものじゃなきゃいけない。
そういう思い込み。
そういう思い込みが自分のワクワクを見えなくさせることは多い。
だから、自分のワクワクに気づくためには、他人の意識を一旦外さないといけなかったりする。
そのためにはやっぱり、自分と向き合う時間。
つまりは一人でカフェにいる時間が必要になるということ。
いや、別にカフェじゃなくてもいいんだけど。笑。
まあ象徴よな。
一人時間の象徴と言えば、カフェしょ。あ、これもイケジュンの価値観なのでお気になさらず。笑。公園とか自然の中とか温泉でもいいす。それ以外でもいいす。
自分は別に他人と違っていいし、願望だって他人と違っていい。理解されなくていい。ある意味、「え?この素晴らしさが分からない?へえ~そうなんだ~それはそれはあれだねえ~( ̄∀ ̄)」と、にくたらしく言ったっていいわけだ。笑。
でも、そう言えないのは、向こうには「世間一般から見れば」「普通は」という後ろ盾があるから。「みんなそう言うよ」。出たこれ。みんなという後ろ盾。
そういうのにはな、こっちは慣れっこやぞ。言われ慣れてるぞ!やから、効かん( ̄∀ ̄)笑
そういう言葉を使う場合は、その後ろ盾があるから自信があるように言えているだけで、本当に自信があって言っているわけじゃない。そこを見抜こう。ズバンと。
そう言われても別に自信を失う必要はないし、自分が自分で自分が感じるワクワクを追求していけばいいわけだ。
そういう他人の意識から自分を離すってことが、ワクワク、やりたいことを見つけるときには重要になってくるんよな。
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