嫌われたくない思いが強いとき、人は「いい人」になります。
当たり障りのない人、道徳的な人、人を傷つけるようなことは言わない人になる。
いや、なろうとする。
でも、大体それは仮面を被った自分で、自分を抑えた自分。
自己犠牲的。
だから、優しそうな表情を浮かべてはいるけれど、内側は怒りで渦巻いていたり。
あんまり自己主張のない人だなあ、と思っていたら、
実はめちゃくちゃ自己主張したい人で、でもそれを抑えているから周囲の人からなめられたり、
やいやい言われたりする。
それがストレスで、嫌なのだけど、嫌と言えずにニコニコしている。
不自然にニコニコしていて、やけに親切な人がいます。
もちろん仕事とかだとそれも全然OKなんですけど、
それが根本的な生き方になっている場合、内心、結構つらいはずなんですね。
自分の醜い部分とか攻撃性とか抑圧してしまっているので、
攻撃性が自分に向いて自分を責めたりする。
もしくは、小さな怒りがだんだんと蓄積されていって、最後に爆発してしまう。
逆に、いい人をやめることで、生きることはかなり楽になります。
そして、いい人を演じていたときより、人気者になります。笑
しかも、嫌いな人が離れて行きます。
実は、良い事しかありません。
実は、ね。
でも、いい人を演じているときは、それが信じられないし、いい人をやめることが恐怖になる。
嫌われるということ自体が恐怖になってしまうので、
嫌いな人にまで好かれようと、頑張ってしまう。
楽しくもないのに「楽しい!」と言っていた方が、楽だと感じる。
でも、それを続けているからこそ、何となく不平不満が多かったり、
自分の人生を生きている感覚が薄くなってしまうんですよね。
Noと言いたいことに対して、ちゃんとNoと言うこと。
自分を犠牲にして好かれるくらいなら、嫌われた方がマシです。
自分を犠牲にしてまで好かれようとする必要など、ありません。
いい人でいることは、一時的には楽。
心理的な葛藤を避けることができるから。
人とぶつかることを回避できるから。
一時的には、楽をできる。
でも、その偽りの楽を選び続けた結果、
人生全体を見たときに、つらいものとなってしまいます。
本来の自分を生きられなくなってしまう。
言いたいことも言えず、
やりたいこともやれず。
そうならないためには、
嫌われないためにしてきた行動を見つめ直し、
違う行動を「選択」すること。
一つ一つの選択が、あなたの毎日を変えることになります。