罪悪感という名の急ブレーキ。罪じゃないから、やっていい

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アメリカでは、自己主張をすることは推奨され褒められることであり、非難されることではないそうだ。

それはすなわち、自己主張をすることが素晴らしいことであるという評価基準があるということ。

サッカーの本田圭祐選手が、所属チームACミランの幹部たちに向かって「評価基準がおかしい」といった趣旨の発言をしたことで物議を醸したことがあったが、それはあんまり今回の件には関係ないが、

人の行動というのは、周囲の評価基準に左右されることが多い。

日本にいれば、自己主張をすることはそれほど褒められることではないという空気がある。

だから、自己主張をすることに罪悪感を感じている人は多いし、

例えばブログなどを書いて情報発信をしようと思っても躊躇する人が多いのはそのことも関係しているように思う。

お金を稼ぐことについてはどうだろうか。

お金を稼ぐことに対して周囲が否定的な評価をしてきていた場合、お金を稼ぐことに躊躇を感じるはずだ。

周りが否定的評価を下すであろうことに対して、人は躊躇を感じる。

躊躇を感じるということは、ブレーキを踏むのと同じこと。

なかなか前に進めない人、動き出せない人は、たくさんの躊躇を抱えている。

たくさんの躊躇。

それと、たくさんの葛藤。

躊躇と葛藤をたくさん抱えれば抱えるほどに、人の動きは鈍くなる。

複雑に思考しすぎてしまう場合にも、躊躇と葛藤は増えて、動きは鈍くなる。

葛藤するということは悪いことではない。

ただ、それが「周りが否定的に評価するであろうから」という理由であるなら、それはもったいないことだ。

人の相談などを聞いていて、

やればいい

やめればいい

それで終わり。ということがよくある。

それだけ単純な話なのだが、当人にとってはそうではない。

たくさんの躊躇と葛藤を抱えている。

でも結局それは、自分がやりたいと思っていることを実行することや、やめたいと思っていることやめることに罪悪感を持たされてきただけのこと。

周りが否定的評価を下すであろうことをするとき、人は罪悪感を感じる。

やってもいいのかな

やめてもいいのかな

やることは罪なんじゃないかな、やめることは罪なんじゃないかな

そんな風に感じる。

でも、それは結局、それをすることに否定的評価を下されてきた、それをやめることに否定的評価を下されてきたというだけのことだ。

実際、自分の周りに最近会社を退職した人がいるが、退職したことを伝える投稿に対して「おめでとう!」というコメントが多数届いていた。

これなど、会社をやめることに対して肯定的評価をしてくれる人間関係がそこにあったということであり、

やめることができたのも、そもそもそういう人たちが周りにいたからかもしれない。

もしも周りにいる人の評価基準が「会社は辞めるべきではない」というものであったなら、

否定的に評価されることが事前に推測され、それによって辞めることに罪悪感を感じさせられ、

実際に辞めることはできなかったかもしれない。

罪悪感とは、周囲の評価基準から生まれるものでもあるのだ。

大事なことは、そのことを客観的に認識しておくこと。

躊躇や葛藤を感じたら、それは周囲の評価基準を気にしてのことではないのかと自問してみる。

すると、自分が余計な躊躇や葛藤を感じていたことに気づけることも多い。

そう気付いたら、あとは好き勝手にやるだけだ。

 

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