最近は願望実現的なことを書くことが多いけれど、基本的に、人は別に生きているだけでいい、と思ってる。
例えば、好きになった人には何も求めないもの。ただ居てくれるだけでいいわけだし、元気でいてほしいなと思うだけ。
だよね。
基本的に、根本的に、そういうものだと思うんだ。
成長したい人は成長すればいい、なりたいものがある人はなればいい。
誰もが必死こいて努力をする必要はないと思うし、
寝たければ寝ていたらいいよね。
ぐーすかしていたっていいわけ。
自由だから!どう生きようが。
ただ、どうしてもブログ記事というのは一つのテーマについて書くことになるから、
願望実現について書くと、どこか「そうならなければならない」気持ちにさせるような書き方になってしまう。
けど、別にリラックスして生きていいし、いつでも目標達成をする必要だってない。
頑張りたいときは人は自然に頑張るし、別に誰かに焦らされる必要ってないよね。
誰かに焦らされる生き方って、する必要はない。
もちろん自分の願望があって、その自分の願望ために外部の強制力を使うのは良いと思う。
ただ、願望そのものを人から持たされるとか、それがないとダメだと思わされるとか、そういうのはいらない。
人を支配するには、それが一番有効な手段なんだけど…(あわわ)
「お前は今のままじゃダメだ」
という設定を相手に与えて、「俺に認められるために頑張れよ」と持っていく。
そうすれば…、、、、
人はその人の奴隷のようになっていく。
言いたいことも言えないし、本音で話すこともできなくなる。
恐怖や支配によるコントロール。
がくぶる!
でも、本当に強い人は人を自由にできる人で、人に安心感を与えられる人なんじゃないかと思ってる。
人が自由に生きていても、自分の言うことを聞かなくても、それでも全然平気でいられる。
それが「強い」っていうことなんじゃないかな。
どこか人生に恐怖を抱えている場合、昔、親に認められなかったとか、親の目を気にしているとかそういうところがあった人は、
親代わりとなる新たな「この人に認められないと」という人をセッティングして、同じパターンを繰り返してしまうことがある。
親の代わりが現れただけで、本質的な在り方レベルでは変わっていない、という状態。
それが、いつまでも苦しさが抜けきれない原因だったりするんだね。
でも、人から持たされた願望っていうのは、持つ必要はないんだよ。
その人に認められる必要もなければ、失望されても全く問題ない。
まじのんぷろぶれむ。
大事なのは、自分の心がワクワクして、心があったかくなって、いてもたってもいられなくなるような、
自分の願望を追求すること。
ただ、
「認められなきゃ」というところから解放されて自分の願望を追求していったら、結局、認められてしまうんだけど。
笑。
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