ACミランに所属しているサッカー日本代表本田圭佑選手が、
ミランサポーターに対して苦言を呈している。
最近のミランは低迷が続いているのだけど、
今のミランサポーターは、
負けているときには強くブーイングをして、
勝っているときにだけ賞賛する。
今のイタリアサッカーのサポーター文化にはそういう部分があるらしく、そのことについてこんなコメントを。
「1−3になった場面でサポーターは(自分が応援するチームを)サポートできないのかな、というのがやはり印象的でしたね。
ブーイングを浴びせてしまうし、イタリアでは負けている時に逆にすごく温かくすることが悪なのか?
それが僕には理解できない」
「最終的には(逆転したら)また家族みたいに戻るでしょ?
別に僕がそれを否定するとうことではなくて、イタリアの文化にとって、『イタリアっていうのはこういうもんなんだよ』っていうことであれば、
僕に賛同できる少数派のイタリア人が声を上げてこの雰囲気を打破して、イタリアの新しいサッカー文化を作るべきなんじゃないかと今日話したかった。ちょっとあり得ないですね」
「今までの選手や監督を含めて納得してないですけれど、声を上げられないですし、(サポーターが)怖いしね。
逆に勝ってサポーターの機嫌がいいんであれば、この提言を耳に入れる余裕があるんじゃないかと思って、またこれが何かプラスの議論を起こせれば、と思っています」
本田選手の言っていることは、よく分かる。
先日、ブログやメルマガで紹介した野球部の監督が率いるチームは、結局、
大会で優勝を果たした。
その監督の状態やあり方というのは、ミランサポーターとは真逆。
イケジムで伝えていることも、本田選手に賛同するあり方であって、ミランサポーターとは真逆。
サポーターというのは言葉をよく見れば、サポートする人ということになるだろうけれど、
サポートとは何なのか。
うまくいっていないときに責め立てることがサポートなのか。
でも、サポーターは、チームの成績が悪いことを選手や監督のせいにして、
自分たちのあり方については振り返らない。
自分たちにできることはないのか?
自分たちの応援は、選手に力を与えているのか?
と向き合うことはない。
本田選手は、自分がサポーターから「お前のせいだろ!サポーターのせいにするんじゃねえ!」と非難されることを承知の上で、チームが良くなるために発言している。
うーむ。
好きだ。
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