人が何か嫌な気分になってしまうのって、
あの人が自分を低く評価している気がする
あの人が自分はそのままではダメだぞって言っている気がする
あの人にバカにされている気がする
こんなことになったら「あいつはダメだな」って言われる気がする
っていう、「あの人に⚪︎⚪︎と言われている気がする」ということが多い。
(それはもしかしたら、お父さん、お母さんから始まっているのかもしれなくて、そこと向き合えない場合、別のお父さん役、お母さん役の人が人生に登場することもある。その場合、その人に認められないことがすごく怖くなる)
だから、そんなことにならないように、そう言われてしまわないようにするんだけど、結構それは大変なことでね。
だって、何か監視されているみたいに感じるから。
いちいち自分の行動を「これは良いのかな?悪いのかな?」っていう視点でどうしても見てしまう。
その思いが強くなると、失敗がすごく怖くなる。
だって、失敗しちゃったら「幻滅されてしまう」「もう愛されなくなってしまう」「ダメだって言われてしまう」と感じるから。
そう感じたくないから、失敗は避けたくなるし、恥をかくのも嫌だし、カッコ悪いところも出したくないって感じるんだね。
ただ、それって仕方のないこと。
どうしてもそう感じてしまうんだよね。大前提として。
イケジムのメンバーにはよく、
できなくてもいいんだよ
失敗しても全然いいじゃん。てかそれ失敗じゃなくてうまくいっているよ
大したことじゃないよ
あなたは本当に素晴らしいね
って言う。
だってそれが事実だし、そういう愛とか安心感が大事だって思うから。
失敗してもいいんだ、やりたかったら上手くなくてもやっていいんだって思えたときに、やり続けることができて、結局上手くなっていくんだよね。
もちろん、その人なりのペースというものがあるから、別に何かをしていなくても全然いいし、休んでても全然OK。
休んでもいいんだよって言われることで初めて、人は本当の意味で「自分から」動き出すことができる。
誰かが「休んでちゃダメだよ」と言っているから休まないっていうのは、自分の声が聞けてない証拠だし、他人のそういう言葉に無愛想になれないと、休むことに罪悪感を持つ。
そういう罪悪感のある状態では、人は自分の人生をなかなか生きられないんだ。
いつも「あの人にどう思われるだろう?」って気になってしまうんだよね。
俺はトレーニングもしていて、いいなとも思っているけど、それをしていないからダメだとかそういうのは一切ない。
いいなと思うことを書くことはあるけれど、それをしないとダメってことは全くない。
ただの「好み」なんだよね。
食事も同じ。
好きなものを食べていいし、ただ自分は好みで「こういうのが食べたい」っていうのを食べているだけで、誰かにそれを強制しようとか、そういう思いは全然ないんだ。
だから、運動不足でもいいし、好きなものを食べていい。
でも、自分はそうしたいなって自然に思ったなら、それはあなたの願望だから、トレーニングも食事への取り組みもやってみると良いのかもしれない。
そんな感覚でいる。
自分がそんな感覚で存在している、そう在るってことが大事だと思ってる。
これは特にメンバーに伝えたいのだけど、イケジュンからどう思われるかとかそんなこと考えなくていいから。
もしも気にしている場合は、ね。
「いや潤さん、俺、全く気になってねっす。まじ自由っす」っていう場合は、それでいい。その調子!笑
何かをやってるとかやってないとか、結果がどうとか、どうでもいいんだ。
どんなあなたも最高だから。
俺は、そう思ってるからね。
今日は、イケジム大阪セミナー。
愛するメンバーに会えるのが楽しみだし、俺はただ愛を伝え続けるだけだなって思ってる。
メルマガも書いています。
オンライン人生相談BAR「いけじゅんBAR」もやってます。
いけじゅんBAR第2回「なぜ、大きな目標はあるのに行動できないのか?」
4冊目となる著書はこちら。