自信がないときというのは、どうしても自分と他人を比べてしまうもの。
ふむ。
自分と他人を比べて「はー、私ダメ人間」と思うのは、つらいよね。
なぜそうなるのか?というと、
心の中に自分の価値観を持てないから、持っていたとしてもまだそこに確信がないから。というのが一つの理由なんだ。
別の言い方をすれば、他人が決めた価値観、他人の基準で自分のことを見てしまっている。
例えば、金銭という価値観をすごく大事にしている人と、自然の中で生きることを大事にしている人がいるとしよう。
そのとき、自然の中に高級スーツで金銭男が現れても、自然男は自信を失うか?というと、
失わない。
ポカン…
てな感じだ。
暑いっしょ、みたいな。
スーツ脱いでそこの枝にひっかけとけば?みたいなね。
比べたりなんかしないし、羨ましいとも思わない。
自分にとって大事なことは何か?がよくわかっていて、それを追求すればいいだけ、それを楽しめばいいだけだとわかっているから、自信を失うことはない。
こういうことが日常の中で起こっているわけです。
結局、自分の価値観を明確に持っている、自分の願望を持っているなら、ただそれを大事にすればいいだけだし、そこに向かっていけばいいという話になる。
逆に、自分の願望が分からなければ、他人の価値観で生きるしかないし、
他人の価値観に乗り切れずに行動できなければ、いつでも自分を責めるしかなくなるんだ。
自分を他人の価値観で裁くっていうのが、自分を責める一つの理由なわけ。
例えば、仕事をバリバリこなしたい人もいれば、ある程度のゆとりを求める人もいる。プライベートが大事、という人もいる。
そういう人にとっては、ゆとりの時間を持てていることが成功の証なのであって、それでいいわけだ。
でも、バリバリ系からすれば「あいつは頑張ってない」みたいになるわけだけど、価値観が明確になっていたら、
「そういう指摘はマジどーでもいい。俺は俺の生きたいように生きるだけ」
という話になるんだよね。
「てか逆に聞きたいんだけど、人生楽しい?」
自信を失うんじゃなくて、そういう風に切り返すことだってできる。
「そんなことできません。何でそんなに自信満々なんですか?」
と思うかもしれないけど、自信満々というよりも、自分の価値観を持っている、自分を持っている、自分のゴールを持っている、自分の願望を知っている、ということなんだよね。
よく、親がどうこうで自信を失う、とかっていう話がある。
あれだって結局は、親の価値観で自分を裁く癖があって、自分の価値観を大事にできないってこと。
だから、親に対して「うるさい(あなたの価値観じゃなくて、私は私の価値観を大事にします)」と言えたら解決したりする。
とにかく、自分はどうしたいか?自分は価値観はどうなのか、俺はこうなんだよ、私はこういうのが好き、というのがよく分かってくると、自然に、他人と比べたり、他人の価値観で自分を裁いたりするんじゃなくて、
ただただ自分の願望に向かっていくことができるようになる。
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