※この記事は、これらの記事の続きです
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TUTAYAの新作コーナーをうろついていた。別に、借りたい映画があるわけではない。借りたい映画があるわけでないのに、TUTAYA内をうろつき始めてすでに30分以上は経っている。
レジに並ぶ勇気が出ない。
レジには、いつも通り気になっていた子がいた。この半年間、話しかけたことなどない。が、いつも話してみたいという思いを抱いていた。
話してみたいと思いながら、結局のところ何もできずにいた。
しかし、先日のバーでの一件から、自分の気持ちに変化が起き始めていた。このまま何もできないままで終わりたくない、という思いが生まれ始めている。
ただ、その思いはあるのだが、いざ現場にやってくると「また今度でいいのではないか」という思いも湧いてくる。
ふと、思う。
頭の中で決意することなど簡単なことだ。頭の中でなら、いつでもヒーローになれる。頭の中でなら、やろう!と決意することはできる。
だけど実際の現場になると、いつだって自分は逃げ出してきた。
その逃げ出した自分を肯定したり、何とかしたくて本を読む。けれど、また現場に来ると逃げ出す。
結局、何もできない。何もしない。何も変わらない毎日。
そして今、分かったことがある。
それは、結局、現場に出て、そこで「やる」ことでしかその子との関係は変わらないということ。
考えてみれば当たり前のことだ。向こうから話しかけてくることなどなく、何かしらのアクションを起こさなければ、何も起こりようがない。
誰かに話せば、何を今更、と言われるだろう。だけど、自分はそんなことすら分かっていなかった。
頭の中の世界で満足し、実際に現場で闘っている人をバカにしていることさえあった。自分は何もしちゃいないのに。何もできはしないのに。
いつだって自分は、頭の中の世界に逃げ込んできた。自分は本当はできるのだと思いたかった。万全の準備を整えたかった。
なぜ?
傷つくのが怖かったから。
実際のところ、今まで何もできずにいたのは、ただそれだけの理由だったのかもしれない。
ただ、怖かった。
今ここで話しかけるということができないのなら、今まで学んだことや、考えてきたことに、一体どんな意味があるだろう。
今ここで何もできないなら、それは何も学んでいないし、何も成長していないことにならないか。
そして今まで、そのことから目を逸らし続けてきたのではないか。
変わった気になって、俺は何も変わっちゃいなかった。
そのことを、認めたくなかったのではないだろうか。
だけど、だからといって、これまでの自分を責めて卑屈になったところで意味はない。誰も慰めちゃくれない。自分の人生に責任を持つのは、自分しかいない。
だから結局、やるしかない。話しかけるしかないのだ。
そこまで考えて、ふと我に返る。
借りる映画など、何でもいい。どうせ、観ることなどない。
目の前にあったケースから、DVDを抜き取る。
今からやろうとすることは、相手にとって迷惑かもしれないという思いが浮かんだが、それすらも言い訳であることが今は分かる。
迷惑がられて嫌われることも受け入れればいいのだ。ただそれだけの話でしかない。
ただそれだけの話でしかないことに、今まで自分は縛られ続けてきた。
それももうそろそろ、いいだろう。
まだ完全に踏ん切りがついたわけでもない。
それでも、足はレジに向かっていた。
続きはこちら。「苦しさは失敗から生まれるのではなく、失敗で傷ついたプライドから生まれる」
今日はエミネムの「Not Afraid」でも聴こう。
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