状態を上げるためには、
自分がやりたいと思ったことをやらせてあげること
が大事になる。
例えば、実は仕事がしたいのだったら、ちゃんと仕事をやらせてあげるべきだし、
恋愛がしたいのだったら、恋愛をする。そこに時間を取る。
心底寝たいのなら、寝る。
もしそこで、自分の本音とは別のことをやっていると、心の中はモヤモヤしてくるはず。
本当はしたいことがあるのにゲームをしていると、モヤモヤするはず。
その気持ちは、ゲームへの罪悪感というよりも、
自分への愛からくるモヤモヤ。
「本当は、それじゃないことしたいよね?もっと大事なことあるよね?」
というサインなんだ。
もちろんゲームは楽しいけど、それよりも大事なことがある、それよりも追い求めたいことがある。
だから、ゲームをしているとモヤモヤしてくる。
例えば、実は負けん気の強い男性とかって、
本気で筋トレしたり仕事している方が状態が良かったりする。
自分が本当にやりたいことを全力でやらせている方が状態が良い。
よく例を出すけど、自分の場合、受験生時代は本当にずっと勉強をしていて、周りから見ればそれは「努力」だったと思う。
でも、本人からすると、勉強していない日の方が気持ち悪いというか、苦しくなってしまう。
その苦しさって、「しなきゃいけない恐怖」とは別の感情なんだよね。
しなきゃいけないと思って、しなきゃいけないことができていない恐れではなくて、
したいことを全力で許可できていないことで感じる「抵抗感」なんだ。
昨日、サッカー日本代表の試合があったけど、
ストライカーが「シュート打つな!」と監督に言われているようなもの。笑
「ええ!?打ちたいんですけどお!」
という話であって、当然、ストライカーの状態は下がる。
「まじ、打たせて!?シュート!」
となる。
そこから状態を上げようと思ったら、シュートを打たせてあげるしかないよね。
許可するしかない。
でも、本当はゴールキーパーをしたい人が、「点取って来い!」と言われたら、逆に、
「え、やだなあ。点取らなきゃなあ」
となる。
要は、その人がストライカーが好きなのか、ゴールキーパーが好きなのか。何をしたいのか。そこが重要で。
恐怖と抵抗感って別物で、
今まさに「しなきゃ」に縛られた人のフィルターから見ると、例えば全力で勉強したりしている人は、
「ああん、まだ、しなきゃに縛られて恐怖から勉強してるんですねえ、へえ〜」
なんて謎の上から目線で見られるかもしれない。
けど、そうじゃない。
それは現在のその人のフィルターからすれば「そのようにしかどうしても見えない」だけであって、
実は、やりたくやってる、楽しいからやってる、自分のへの愛からやっているという、そういうステージにその人はいるんだ。
だけど、その人にはその感覚はまだないから、そういう風にどう頑張っても見えずに、誤解や曲解をしながらあなたの行動についてジャッジするかもしれない。
でも、そんなのは気にしなくていい。
頑張りたいなら、全力で頑張っていいんだよ。
当たり前だけど。笑
逆に、本当に、心底寝たい。
しなきゃに縛られたくない人だっているはず。
本当はやめたいことを抱えている人もいるはず。
そういう人は、寝たり、やめるということも大事になる。
だから、結局は、自分の心と向き合うことになるんだけど、
一つの基準としては、
気分が良い、状態が良いなら、それは自分がしたいことをさせてあげている、ということなんだよね。
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