<この物語はフィクションです>
私となかなか目を合わせようとしないその男は、いつも考えすぎてしまうのだと悩んでいた。どうしたら考えすぎることをやめることができるのか。相談内容は分かりやすく言えば、そういうものだった。
「考えすぎるっていうのは、考える力があるということなわけだ。だから、考えすぎるということがそこまで問題だとは思わんが」
「でも、考えすぎて、何がなんだかよく分からなくなったり、結局何もできなくなってしまったりするんです」
「まあ、そういうこともあるだろうな」
「それを何とかしたくて」
「考えることは問題ではないが、考えないという選択ができるようになりたいということだな」
我ながら、回りくどい言い方をしている。人からの相談を受けるようになって、自分なりに相談を受ける側のスタンスというものを考えるようになった。
しかし、ぎこちない。
そのぎこちなさを自分自身が一番感じて、自分で恥ずかしくなる。一方的に言いたいことを言ってしまう方が性に合っているような気もする。
こういうのは、実はマスターの方が得意なんじゃないか。
マスターなら何事もないようにやってのけそうな気もするが、いつも何も言わずに黙々と酒を作っている。
一瞬、マスターがぎこちなく対応する私を見て笑ったような気がしたが、それもまた自分が勝手にそう思っているだけだろう。
「はい、そういうことです」
「なぜ、人が行動を取る前に考えすぎるか分かるか?」
「いえ、よく分かりません」
「怖れてるからだよ」
「怖れてる?」
「考えすぎるのにも目的ってもんがある。ある目的を達成するために『考える』という手段があるわけだ。
その目的というのが、怖れの回避。怖れているものが現実になるのを防ぐために、考える。
だから、怖れが強い奴ほど考える。しかし、それは慎重だとも言えるし、慎重であるからこそ回避できるリスクもあるだろう。
考えることが好きだという奴もいるだろうしな。
考えすぎるのが全て怖れからだとは思わんが、お前が今考えすぎることで悩んでいるのは、怖れが強いことが原因だろう」
「僕は、リスクを回避するために考えすぎているということか…。確かに、そういうところがあるかもしれません」
「強すぎる怖れは、自分を疑心暗鬼に陥らせ、本来できることをできなくさせることもある。リスクでないことをリスクだと思ってしまうこともあるだろう」
「そうですよね…。どうしたらいいんでしょうか?」
「なぜ、そこまで怖れる?何をそんなに怖れている?そこを突き詰めてみることだ」
「なぜ、怖れているか…」
「今ここでその答えを言うこともできるが、自分で考えてみるか。考えるのは好きだろう」
「まあ…」
「俺はお前が考えるのに付き合う気はないぞ。考えたいなら、帰れ。俺は今は何も考えずに酒が飲みたいんだ」
素直に男は言うことを聞き、帰って行った。良い子すぎるところも感じるが、それもこれから徐々に変わってくるだろう。
珍しく、今日は客が多かった。
確実に忙しいはずだが、マスターの表情はいつもと変わらず、マスターだけを見ていると忙しいようには見えない。
注文が一旦途切れ、手が空いたときに声をかけた。
「マスター、忙しいね。今日は」
「明日は雪でも降りますかね」
「夏だぜ、今は」
「そうでした」
「思ったんだが、俺が相談に乗るより、マスターが相談に乗った方がいいんじゃないか?」
「そんなことは。なぜ、そんなことを?」
「何となくね。マスターならあっさりやっちまいそうだ。俺なんかより」
「あなたに救われている人はたくさんいます」
「そうかな。そうは思えんがね」
「間違いありません」
マスターは、しっかりと私の目を見つめて言った。いつもの軽さはそこにはなく、だからこそ真剣に言っているだと伝わってくる。
その一言だけでも、マスターの底の深さを感じた気がした。
どこかで、自分のやっていることに価値があると言ってもらいたかったのかもしれない。
相談に乗るというのも勝手に始まったようなものだが、色々とこちらも深く考えさせられていて、時に、自分の言っていることに確信が持てなくなることもあるのだった。
そのあたりも瞬時に見抜いた上での一言だったのだろう。
そう気付いたとき、マスターは、バーの「マスター」以上の存在であるような気がした。
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